鎌倉大仏の歴史

2020年11月22日

鎌倉の大仏様とご対面

小学校の遠足で鎌倉の大仏様に初めてお会いしました。
とにかくでっかくて、荘厳で美しいその姿に心身ともに
感動し圧倒されたのを覚えています。

奈良の大仏様は、盧舎那仏(ルシャナブツ)で、鎌倉の大仏様は
阿弥陀如来です。

奈良の大仏様は

奈良の大仏様

奈良の大仏様は、天平17年(745年)に聖武天皇の発願で
制作が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会、
魂入れの儀式が行われた。
正式には「盧舎那仏座像」で、彫刻部門の国宝に指定されている。

延べ260万人が工事に関わり、関西大学の宮本教授の試算に
よると現在の価格にすると工費は、約4657億円と算出された。

4年前に朝一番で東大寺を訪問した時に、ちょうど僧侶約30人が
大仏様をぐるりと囲み年季が入った特有の声でお経を読んでいる
姿を見る事が出来ました。最後まで聴きなんとも表現できない
胸に迫る思いをしました。

 

大仏の日 4月9日

 

鎌倉の大仏様は

 

高徳院の本尊として、国宝銅像阿弥陀如来坐像の建立が開始されたのは
建長4年(1252年)の頃と言われている

鎌倉の大仏様

 

 

 

 

 

 

 

奈良の大仏様は国家の力で造られたけど、鎌倉の大仏様は一人の僧の
勧進によって造られたのです。
奈良の大仏様は、国の力を示すように銅の成分も文句なしの素晴らしさを
ほこっている。それと比べると鎌倉の大仏様は、一民間人の力によるだけに
銅の成分も劣っていることが科学的に証明されている。

鎌倉といえば、源頼朝(1147年~1199年)ですね。
その侍女の稲田野局(いなだのつぼね)が発願(はつがん)し、
浄光(じょうこう)というお坊さんが一般の民衆から浄財を募り、
歩き回って木造の み仏を完成したが、大風で倒壊してしまった。

ふたたび浄財を募り、一軒一軒歩き回って資金を集め、青銅の
仏像を鋳造し完成した。

それから、760余年もの風雪に耐えながら、大仏殿は大風に
海潮に破壊されましたが、大仏様は地震で傾いても田んぼの
真ん中で生き続けて こられたのです。

しかし、奈良の大仏様も、鎌倉の大仏様も優劣をつけるような事などなく
現代に息吹き、私たちに訴える力を持っています。

「露座の大仏」として名高い高徳院の本尊は
作者不明だが、慶派(運慶とそれに連なる仏師達)の作風と思われる。
高さ(台座を含む)13.35m
重さ 121t
面長 2.35m
眼長 1.00m
口幅 0.82m
耳長 1.90m
眉長 1.24m
螺髪数 656個

 

東大寺の仏像よりは規模的には及ばないが
角張った平面的な面相、猫背気味の姿勢、体に比べ大きめの頭部など
鎌倉時代の代表的な仏教彫刻として国宝に指定されている。

体内は空洞になっていて拝観する事ができ、鋳造の継目や
頭部周辺の何度も補強された様子を見られる。

大仏様のかげには、<strong>み仏よ。
永久にわれらを救いたまえ、という祈り
教えがとこしえに続きますように、という悲願
名もなきともしびの灯がともされますようにという
多くの貧しい人々の願いが秘められている。

人が釈迦牟尼と詠もうと、盧舎那仏と歌おうと
一向に超然としている阿弥陀大仏は、はじめから露座で
あったかのように、美しい鎌倉の一隅になければならない
気高い大仏である

火に焼けず雨にも朽ちぬ鎌倉の
はだか仏は常仏かも  正岡子規

 

参考:仏像入門(石上善應著)、Wikipedia鎌倉大仏高徳院