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関東大震災と「震災銀杏」

街路樹の銀杏

街路樹の銀杏が見事な黄葉(もみじ)に変化し秋の終わりを告げようとしています。

気がつくとあちこちに銀杏が植樹されていて、街路樹だけでなく公園や広場にも、そのあざやかな黄色の樹木は「東京都の木」にも選ばれている。

しかし、その銀杏は独特の銀杏(ぎんなん)の臭いにもかかわらず、東京だけでなく全国的にも、北海道大学や東京大学、東京の明治神宮外苑、横浜の日本大通り、大阪の御堂筋、鹿児島の垂水(たるみ)など各地に名所が点在している。

明治神宮外苑

明治の初期には、桜や松、柳が街路樹として植えられたが、関東大震災で東京が焼け野原になった時、都心の千代田区に1本の銀杏が奇跡的に残った

そことが「帝都復興のシンボル」となって、「震災銀杏」として大手町に移され、現在も元気に皆を見守っている。

銀杏並木が多いのは、銀杏は幹も葉も厚くて多くの水分を含んでいるからです。

大火の時には銀杏は水を吹く」という言い伝えもあり、関東大震災以降各地で積極的に植えられ延焼を食い止める役割を果たした。

浅草寺では「ご神木大銀杏」と現在の五重の塔脇にある「水吹きイチョウ」などが震災時に観音堂や五重の塔を守ったと伝えられている。

浅草寺・水ふき銀杏

それは、「浅草観音堂の奇瑞」と題して震災時の浅草観音堂のことが書かれている。


「浅草方面も本所深川に劣らず、十日前後まで吉原遊郭や吾妻橋下には死體がゴロゴロしてゐた。
観音堂は山門五重の塔その他附属物、全く奇跡に焼け残った。
観音堂が四方から火の手を受けて全く危険に陥ったのは二日の午前二時頃だった。
この時堂の周圍に集まってゐた十五六萬の避難民の処置について象潟署員は頗る迷った。
その内に危険は愈々迫って来たので避難民は我れ勝ちに上野方面へ逃れたが、逃げることの出来なかった十萬余の人々は、悉く死を覺悟し、親子兄弟相抱いた儘観音様を念じて無念無想の境域を求めてゐた。
天佑は此處にも生命を恵んだ。午前五時頃になると観音堂の境域は全く危険界から脱したのである。
その時一命を得た十萬の人々の中には観音様のご利益を説き、堂を蔽う大銀杏から龍吐水のやうに水を吹き出して、本堂が燃えかかる火焔を消してゐたと語り合って不思議の再生を喜ぶものが多い」と。

引用:関東大震災の奇跡・7万人の命を救った浅草公園の人々

震災時、浅草馬道町六丁目(現在の台東区花川戸2丁目)の裏長屋に住んでいた上原幸太郎さんは「観音堂が焼け残ったのは観音様のご利益やイチョウなど樹木の助けもあったと思うが、実際は避難した長屋の人たちが協力して観音堂の周りにあった天水桶、貯水池、瓢箪池からバケツリレーして必死で延焼を食い止めたからだ」と言う。(「古老がつづる下谷・浅草の明治、大正、昭和」第一巻/1981年)。この話の方がよほど信憑性が高いように思われる。

引用:関東大震災の奇跡・7万人の命を救った浅草公園の人々

実際には、鳶の頭の馬場斧吉以下8名の組手により、避難していた人々に指示指導して延焼防止活動をし、それにより多くの避難者の命を守り、二天門、被間稲荷、観音堂も焼け残った。

現在の二天門

燃え盛る炎、押し寄せる火炎に敢然と立ち向かい、浅草公園に避難してきた長屋や近隣の江戸っ子たちも黙って見ずに、懸命の消火活動を行って、浅草寺やご神木のご利益がいったいとなり、約7万人の避難者たちの命を救ったといわれている。

銀杏は、寿命も長く病害虫や排気ガスにも強くアスファルトの間の固い土地という過酷な環境にも耐えられるため、町の中心部の街路樹になっている。

近年は臭いを気にして、実をつけない雌株を植えられることが多いようです。

参考:関東大震災ちょっといい話、季語ものしり事典(新海均著)

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