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天河大弁財天社の高野山の聖地「天川村」とは

日本5大弁天のひとつの「天河大弁財天社・てんかわだいべんざいてんしゃ」は奈良県吉野・熊野・高野山という聖地のほぼ中心にあります。
主祭神は「市杵島姫命・いちきしまひめのみこと」で、七福神の琵琶を持つ「弁財天」とも同一視されている神様です。

弁財天

芸能の神様、財運の神様として広く信仰されていて特に音楽関係の人がお忍びでお参りにくるそうです。

仙人の住む山

吉野山地の中心部に位置する「天川村」は、七世紀後半のこと天智天皇の死後、天皇の弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)と天皇の長子大友皇子が皇位継承をめぐり、1カ月にわたって争い大海人皇子が勝利し、天武天皇として即位した。

これが干支でいう壬申(じんしん)にあたる年だったので「壬申の乱・じんしんのらん」と呼ばれる皇位争奪戦だった。

吉野は古代のある時期、神仙思想によって神仙の住む仙境とみなされ、日本の仙人たちがその居住地を吉野に求めていた。
あの有名な久米仙人も吉野に住んでいた。

仙人や山岳修行僧の話は幾多もあるが、いずれにしても、仙人風の修行僧が山に入り、洞窟にこもり、飛行術を身につけるために松葉を食べ、不老不死になるという仙薬を飲み、樹皮製の皮を着て、空中を飛び回ったり、器物や荷物を飛ばすことのできる術を獲得しようとしたりしていたのです。

吉野に伝わる伝承によると、吉野の「金剛蔵王権現」も役の業者が衆生を救済するにふさわしい仏の出現を祈願したところ、ものすごい雷鳴とともに忿怒の相もすさまじい金剛蔵王権現が岩の中から現れ、役の業者は、その姿を桜の木に刻み本尊として祀ることにした

その場所が大峰山系の山上ヶ岳の大峰山寺であり、吉野の蔵王堂だという。

吉野山が後に桜の名所になったのも、ご神木を桜だとする信仰と無縁ではないようです。

吉野の桜

天川村は、深山幽谷の地にあり、今でも大小の曲がりくねった路が続き、秘境と呼ばれるにふさわしい。

約1300年前の役行者による大峯開山以来、山岳修験道の根本道場として栄えてきました
現在は、人口は約1300人、この村に観光で訪れる人年間約60万人ですが、天川村は昔と変わらずいまも大峯山(山上ヶ岳)の信仰の拠点です。

大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)

吉野と熊野を結ぶ大峯山を縦走する、修験道の修行の道。1000-1900m級の険しい峰々を踏破する「奥駈」という峰入修行を行なう約80kmに渡る古道を指す。

2002年(平成14年)12月19日、国の史跡「大峯奥駈道」として指定された。ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』(2004年〈平成16年〉7月登録)の一部になります。

五十鈴(神代鈴)

天河大辨財天社に数千年前より伝わる独自の青銅製の鈴があります。
この鈴は「五十鈴(神代鈴)」と呼ばれこのいわれは。

天岩戸神話では岩に閉じこもった天照大御神(アマテラスオオミノカミ)を引き出すために天宇受責命(アメノウズメノミコト)がちまきの矛(神代鈴をつけた矛)をもって、岩屋戸の前にて舞を舞われ、神の御神力と御稜威をこい願われたことによって、岩屋戸が開かれ、天地とともに明るく照りかがやいたという伝承に登場する、天宇受売命が使用した神代鈴と同様のものであると伝えられています。。

天宇受責命(アメノウズメノミコト)

引用:天河大辨財天社

大峯山は弘法大師・空海とも縁が深いのだが、無名の遊行僧の円空も同じ道をたどった。

円空は、諸国を行脚しながら苦しむ民衆を救うために山の木を削り、病人には薬師像災害に苦しむ村には不動明王干ばつで苦しむ村には竜王の像を与えた。

円空仏

円空は一説に生涯に約12万体の仏像を彫ったといわれ、デザインが簡素化されており、ゴツゴツとした野性味に溢れながらも不可思議な微笑をたたえていることが特徴です。

天河大辨財天社の隆盛とともに聖域化された天川村は、平安時代には、菅原道真や藤原道長をはじめとする権力者から庶民までが熱心に御岳詣(みたけもうで)を行いました。

神の力が宿したような険しい山や深い谷、天川とは、人が容易に近づくことができない神聖な場所「高天原」に由来するという説もある。

そんな圧倒的な自然な美しさに古代から魅せられ、畏れも感じていたのでしょう。
日本の聖地に行ってみてはいかがでしょう。

参考:聖地と日本人(小松和彦著)、Blue Signal天河大辨財天社天川村

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