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知恵や工夫が積み重なった日本独特の履物

子供の頃の家の玄関には、があり、下駄があり、サンダルなどがありで、さまざまな履き物が揃えてあった。

学校に行くときや友達と遊ぶときは運動靴で出かけ、ちょっと買い物や近所の風呂屋などに行くときは、サンダルを履いてました。

その履き物のルーツをたどると面白いかもしれないと思い調べてみました。

日本の履き物は、湿り気がある風土と住居のかたちで随分と工夫されてきたようです。

田下駄

狩猟時代の日本人は裸足で暮らしていたようですが、中国から稲作農業が伝わり、弥生時代に農具として「田下駄・たげた」が広まった。

(田下駄とは、田植えなど行うとき、田圃に足が沈み込まないように履いた下駄です。)

田下駄

また、奈良時代には貴族の装いとして足全体を覆う被甲履物が唐から入り、平安時代になると日本独自の仕様に進化していきます。

武家の時代となる鎌倉時代は動きやすい鼻緒の履き物が広まりました。
それからは、履物を履く風習が大衆にも徐々に浸透し、町民の活動が活発になる江戸時代には、さまざまな商業の用途に合う履き物が考案されていった

土足の文化

ところで、アメリカ合衆国やヨーロッパなどは、土足文化で室内でも靴を履いたままで生活をしているのに、日本や韓国などでは履物を脱いで生活をしているのが通常です。

これは一言で言えば、畳文化の日本とは違い、アメリカではソファやイス、ベッドで生活をします。
直接床に座ることが少ないため、アメリカ人にとって衛生面はそれほど問題にはしてないのです。
そして、湿気や寒い地方での気候も関係しているようです。

いつも思うことですが、掃除が大変なのではないかと心配になりますね。

上がり框(かまち)

日本の家の構造は、高湿地であるため、床下は通風を取り入れるのに座敷を高くつくられている
当然、座敷と土間には段差が生じ、この段差が内と外を区別する境となりました。

江戸時代の上がり框

この、土間から座敷へと上がる一段高い板敷きを「上がり框」と言います。
人々を迎え入れる、もてなしの空間としても機能しています。

上草履

中世でも身分の高い人物は室内ばき履いていました。現代でも廊下や板の間ではスリッパを履いて畳の間はスリッパを脱ぎますね。

学校でも、下駄箱で上履きに履き替えるように、内と外を区別する意識は日本人の感覚に根を張っている。

裸足で生活しているときは、足の親指で踏ん張るため、親指の筋肉が発達し大きかったと考えられています。

鼻緒履物は、裸足の時の親指の踏ん張りを生かして、親指とその他の指を分けて考えられたもので、足袋や地下足袋の起源も同じようだと言われています。

どれだけ親指を使ったのでしょうか。
今でも、靴を履いていても親指で蹴るように歩くとつまずかないし、膝の負担にも良いと言われています。親指は重要です。

さまざまな履物

鼻緒履き物は、主には藁(わら)で作られ通気性が良く、水虫などの防止にもつながり、湿気の多い日本の風土には適していたのです。

時代と共に移り変わる暮らしの中で、明治時代には底にゴムを装着したマラソン用のを開発し、世界大会で2度も優勝に導きました。

和の履物としては、花魁道中の履物「高下駄」や、町方の女の子の履物の「ぽっくり下駄」が有名です。

最後に、最近ではアメリカなどでも、日本で過ごしたことのある人の家庭では、土足禁止が結構多いそうです。

また、和は着物の花魁の高下駄を原型として、レディーガガが履いた「ヒールレスシューズ」が話題になった。

参考:japan houseshose-boxWikipedia

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