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やなせたかしが生きるをテーマにした「手のひらを太陽に」

国民的童謡のひとつ「手のひらを太陽に」は、作詞は「それいけアンパンマン」の生みの親の ”やなせたかし” さん(2013年逝去)、作曲は「見上げてごらん夜の星を」など世に1万5000曲を送り出した ”いずみたく” さん(1992年逝去)です。

この二人のコンビは初めてで、1961年に作られ ”宮城まり子” さんが歌った

左から、やなせたかし、 いずみたく、 宮城まり子

1962年にNHKの「みんなのうた」で宮城まり子とビクター少年合唱隊の歌唱で放送された。
1965年の紅白歌合戦でボニージャックスが歌って反響を呼び全国に広く知られるようになった。
1969年からは小学生の音楽の教科書に掲載されている。

また、2006年には日本の文化庁と日本PTA全国協議会が、親子で長く歌い継いでほしい動揺・唱歌や歌謡曲といった抒情歌や愛唱歌の歌101曲を選定した「日本の歌百選」にも入っている

作曲した、いずみたくさんは、この曲は当時では珍しいバイヨンというリズム(ラテンのリズム)で、作られていて、特別に子供を意識して作ったのではなく、わざと洒落たリズムを使ったと言っています。

やなせさんはこの曲ができた当初は「ヘンな歌」だと「あまり気に入らなかったんだよ」と繰り返しもらしていたという。

「手のひらを太陽に」歌詞

ぼくらはみんな生きている
生きているから うたんだ
ぼくらはみんな生きている
生きているから悲しいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)
ミミズだってオケラだって
アメンボだって
みんなみんな生きているんだ
友達なんだ

ぼくらはみんな生きている
生きているから 笑うんだ
ぼくらはみんな生きている
生きているからうれしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)
トンボだってカエルだって
ミツバチだって
みんなみんな生きているんだ
友達なんだ

ぼくらはみんな生きている
生きているから おどるんだ
ぼくらはみんな生きている
生きているから愛するんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)
スズメだってイナゴだって
カゲロウだって
みんなみんな生きているんだ
友達なんだ

やなせさんによると、歌詞の「生きているから悲しいんだ」が「生きているからうれしんだ」よりも先にきているわけは、死んでしまえば悲しいという感情もない。
悲しみがあるからはじめてうれしさがある。人生は悲喜こもごもだが喜悲こもごもとは言わない。
影がなければ光はない。だから「悲しいんだ」が先に出てくるのだという。

引用:やなせたかし 明日をひらく言葉(PHP研究所編)

やなせさんのテーマは「生きる」ということにフォーカスしていると思います。
生きていれば、笑ったり、歌ったりできる。「生きているから悲しいんだ」は、悲しみがなければよろこびはない。
不幸にならなければ幸福はわからない。と言い一番うれしいのは人を喜ばせることと言い切る。

ある夜に、仕事の合間に手のひらに懐中電灯を透かしてみたら、血管がものすごく元気に流れていたんだよ。自分の心は沈んでいても血は元気だ。血の流れを見て「生きているんだ」とつくづく思った。

やなせたかしさんといずみたくさんの二人は、その後、月に1曲ずつ「0歳から99歳までが歌える童謡を書こう」と約束をした。
そして、当時の人気月刊誌30年も続いた「詩とメルヘン」に200曲以上発表した。

月刊誌 詩とメルヘン

この「手のひらに太陽を」の曲がブレイクしたのは、やなせさんが40歳すぎ、歌は知られてもやなせさんの名前が売れたわけではなかった。

その後、「それいけ!アンパンマン」がブレイクした時は、約25年もの歳月が流れた69歳だった

どんな境遇に置かれても必死に明るく生きてきたやなせたかしさんのリアルな生き様がこの詩には込められているのですね。

2011年、東日本大震災で地震や津波で被害を受けた人々に、自然発生的に被災各地で人々の気持ちを奮い立たせた「上を向いて歩こう」「アンパンマンのテーマ」「手のひらを太陽に」とともに元気を与え救われた。

この歌の強い生命力を感じます。

参考:やなせたかし 明日をひらく言葉(PHP研究所編)、WikipediaFRIDAY

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