一生に一度は行きたい「伊勢神宮」
「伊勢神宮」
かつて日本では、どこの家でも伊勢神宮のお札が祀られていたものでした。
日本人の総氏神のようにあがめられ、日本で最も高い格式を誇っている。
「お伊勢参り」といわれ、人々から一生に一度はお参りをしたいと言われてきた伊勢神宮は、天照大御神をお祀りし、皇室の御祖神(みおやがみ)である。
一般的には「伊勢神宮」と呼ばれてますが、正式名称は「神宮・じんぐう」です。
平成25年(2013年)の参拝者数は、なんと1420万人で東京ディズニーランドの次に人々が多く訪れたのが伊勢神宮なのです。
僕は、平成28年(2016年)に、いってきました。
朝一番から訪問し参拝をしました。
参拝者は多いですが、広いその聖地は深い寛容なあめつちの中で我々参拝者を包んでいるようでした。
伊勢神宮は五十鈴川の川上に鎮座する皇大神宮・こうたいじんぐう(内宮)と山田の原にある豊受大神宮・とようけだいじんぐう(外宮)の両正宮を中心に、別宮、摂社、末社、所管社など広大な敷地の中に建つ全百二十五社の総称です。
「皇大神宮」(内宮)
およそ2000年まえ、第11代垂仁天皇(すいにんてんのう)は、神々を敬い、おまつりすることを怠ってはならないと、皇女倭姫命(やまとひめのみこと)に託した。
倭姫命は天照大神が鎮座するのにふさわしい聖地を探し求めます。
大和から伊賀、近江、美濃をめぐったのちに伊勢の国の五十鈴川の川上に至ります。
「日本書紀」にも記されていますが、現在の奈良県から、滋賀県、岐阜県、愛知県を経て三重県の南部・伊勢へたどり着いた旅は約300kmにも及んだ困難極まりない行程であったことは間違いありません。
こうして、この地に「祠」(ほこら)を建ててお祀りしたのが起源とされています。
旅する皇女の倭姫命は、夫婦岩で知られる伊勢市二見浦で、あまりの景色の美しさに二度振り返ったことからこの名があります。
また、松阪市を流れる櫛田川も倭姫命が櫛を落としたことに由来しています
旅の先々で土地の人とのふれあいや、風光明媚な景色に心をときめかせたことなのでしょう。
「豊受大神宮」(外宮)
雄略天皇(第21代天皇)は皇大御神の教えを受け皇大御神の食物を司る豊受大御神(とようけおおみのかみ)を、丹波の国から内宮にほど近い山田の原に迎えました。
およそ1500年前のことで、御祭神は豊受大御神です。
伊勢神宮の参拝は、「外宮先参り」と呼ばれ外宮を先に、内宮をそののちにお参りするのが普通です。
玉砂利を踏み、五十鈴川で心身を清め静謐で新規に満ち満ちた神宮の山の森を歩くと、大きなものにつつまれ生命の息吹を感じます。
おごそかな歴史を感じながら、歩く時また、礼拝するときなどは、身が引き締まるほどでした。
本殿でご祈祷をしていただき、崇高さをさらに感じたことを覚えています。
不思議なことがありました。
カメラを持って行ったのですが、ことごとく露光オーバー状態でうっすらとしか映っていませんでした。
もう一度、行ってみたいです。
参考:お寺・神社ベスト80(松島龍戒・三浦利規著)