冒険家の日本人のこの日
冒険家の日 8月30日
冒険をする日本人は後を絶ちません。
冒険家の日があるんです。しかも、偶然にもその日は日本の冒険家が3つもの偉業を成し遂げられた日なのです。
子供の頃に冒険というと、友達といかだを作って川で流して水に落ちたり、藪のようなところで柿の木などに登り、枝にぶら下がってたら枝が折れて落下して額に3針縫う怪我したり・・・でした。
親に怒られながらも飽きずに友達と冒険遊びをしました。
そんなワクワク感が大人になって、もっと湧き上がり冒険旅行にあこがれて行っちゃうんでしょうね。
冒険家の日
日本人冒険家が偉業を成し遂げた8月30日の3っつ
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- 1965年 8月30日
同志社大学の南米アンデス・アマゾン遠征隊がアマゾン川の源流から3週間かけて130㎞の距離を世界で初めてゴムボートで下ることに成功した日。 - 1970年8月30日
植村直己がマッキンリー(現デナリ)の単独登頂に成功し、世界初の世界5大陸世界最高峰の制服を成し遂げました。 - 1989年8月30日
海洋冒険家の堀江健一が全長がたった2.8mの世界最小のヨット「ミニ・マーメイド号」で大平洋横断を成功させました。
- 1965年 8月30日
このような大偉業を成し遂げた日が不思議と重なり記念して彼らの業績を讃える日として冒険家の日として制定されました。
日本人で有名な冒険家の一人植村直己は、世界で初めて5大陸最高峰登頂を成功させたり、また、単独で北極圏12000㎞の犬ぞり探検に成功した。
数々の業績を上げて、国民栄誉賞を受賞し、イギリスの優れた冒険家に与えるられるパーラー・イン・スポーツ賞も受賞するなど日本だけでなく、世界的に評価された冒険家です。
数々の無鉄砲で大胆な冒険の成功から、さぞかし勇敢な人物と思われますが、実は大学の先輩から一言でも怒られると、すくんでしまい返事もできないような純情さと気の弱さを持っていたのだそうです。
劣等感が強く臆病者だったようで、人前は大の苦手で講演会での第一声は、しばらく気持ちを落ち着かせてからはじめたようです。
しかし、自身の体験に基づいた講演は多くの聴衆に感動を与えた。
ご家族の話によると、その劣等感をバネにして数々の冒険を成功させたのではないかという。
そんな性格なので、十分な計画と準備を経て必ず成功するという確信がないと決して実行しなかった。
1984年2月12日 世界初のマッキンリー冬期単独登頂を成功させた。
その日は43歳の誕生日だった。
翌日の13日午前11時の無線交信を最後に連絡が取れなくなり消息不明になった。
いまだに遺体は発見されていません。
マッキンリーのどこかに眠っているのですね。
死と向き合った冒険は未知の世界へのあこがれや挑戦でもあるんですね。
そんな冒険はできませんが、行ったことのないような土地や景観、歩いたことのない道、初めてのお店など小さな冒険をしてみるのも楽しいかもしれません。