勤労感謝と新嘗祭のかかわりは
勤労感謝と新嘗祭
勤労感謝の日
明治6年に農作物の収穫を祝うために祝日が設けられたのが起こりです。
勤労をたっとび、生産を祝い、国民互いに感謝しあう国民の祝日。
として、農作物にとらわれずすべての生産を祝い勤労をねぎらう祝日になりました。
祝日の移動が多いこの年は、
- 海の日:7月第3月曜日⇒7月23日
- 体育の日:10月第2月曜日⇒7月24日
(2020年以降名称変更「スポーツの日」) - 山の日:8月11日⇒8月10日
- 天皇誕生日:12月23日⇒2月23日
のように、なっています。
移動や振り替え休日が多い中で、固定した祝日とされている勤労感謝の日は、どうしてでしょう。
新嘗祭
勤労感謝の日は11月23日です。
この日は、明治憲法下でも祝日で「新嘗祭」でした。
新嘗祭は
天皇が新穀を「天神地祇(てんじんちぎ)に勧めて神を祀り、自らも食す」とあり、その年に収穫された穀物を神に勧め神に祈り感謝する儀式です。
宮中祭祀の最も重要なものとされ、天皇陛下が神嘉殿(しんかでん)で、新穀を神に供え神恩を感謝された後、自らも召し上がる。
勤労感謝の「生産を祝い」という言葉と新嘗祭の「収穫を感謝し」と結びつきますね。
各地の残る農耕儀礼
各地の農耕儀礼で代表的なものに能登半島の「アエノコト」や東日本の「十日夜」がある
アエノコト
稲作を守る田の神に感謝と祈りをささげる、奥能登の民俗行事。
アエは饗宴、コトは神事のこと。
仮想の神様に、主人が語りかけ、御馳そうでもてなし感謝の気持ちを伝える
(昭和59年に国の重要文化財に指定)
十日夜
旧暦の10月10日に行われる収穫祭です。
稲刈りが終わって田の神が山に帰る日とされているため、収穫を祝い餅をついて食べたり
稲の茎を束ねて「わらずと」や「わら鉄砲」で地面をたたきながら唱えごとをし地面の神
を励まします。
新嘗祭の語源は、新饗(にいあえ)と考えられています。
新穀をささげて饗応することで「天皇が神々を饗応する」のです。
新嘗祭の歴史
新嘗祭の歴史は古く日本書記にも記録があり年代は定かではありませんが、古い儀式だと
いうことは間違いありません。
この時にささげられる米・粟は各都道府県毎に2軒の農家が選ばれて献納します。
現在も農協が中心となって継続をしています。
このように、日本人は昔からの祭事を通して神様からのあたたかい恵みに感謝をささげて
きました。
ほくほくした、おいしいごはんをいただけることに感謝をしご飯が並ぶまでの多くの人々
の苦労にも感謝をしていただきましょう。
僕は、食事の前に箸を両手で挟み、目をつぶり今もやってます。
「箸とらば、あめつち御代(みよ)に恩恵み君と親とにご恩味わい」
いただきま~す。