厳冬でも「立春」を迎え大昔から暦の上では春
立春とは
立春は2月4日ごろを言うのですが、厳寒のころでもあり春の到来を感じられません。
特に現代の若い人にはピンと来ないのも不思議ではないですね。
地球が太陽の周りを回る公転運動を基準にして決められた太陽歴からは小学校で春は「3月、4月、5月」と教えられている。
しかし、月の満ち欠けを基準にして決められた旧暦では春は「1月、2月、3月」をいう。
日本人の気の早さが立春から春にしてしまったのかもしれないが、今と比べると昔の極寒の冬をしのぐには大変な苦労があったことは間違いない。
気候の温暖化で暖冬となったが、サッシ戸の無かった頃の隙間風やコタツや火鉢だけの暖房ではやりきれない。
そんな中でも、二月にはいれば立春が来るのだと気持ちの上でずいぶんとこの冬をやり過ごすことができることなのです。
12月下旬の冬至は、昼の一番短い日で、さあこれからは一陽来復の一日一日と日が伸びてゆき、新年を迎え元日となり、七草となり、小正月となり、大寒を迎え、節分となり、立春となる。
春へのあこがれ
この季節の細かい折り目が、冬をしのぎやり過ごすことへの心の支えに役に立ったことか知れません。それだけ春の季節は皆が待ち焦がれている。
寒さがさかりのときに春の到来を祝い、冬枯れの景色をながめつつ春を嗅ぎわけていたのです。
立春は、冬至と春分の中間にあたる節分の翌日で、「太陽が黄経315度の位置に来たとき」と定義されていることは、まさに合理的であり、春になったので暖かくなることです。
まだ寒いけれども、春寒し、余寒、冴返るであり、春浅し、春めくなど春のきざしがとらえられている。
そして、梅や黄梅、まんさく、猫柳、山茱萸(さんしゅゆ)の花、いぬふぐり、片栗の花、松雪草、クロッカス、君子蘭などの花が咲きだし春を感じないことはない。
昔からの春の感覚
フキノトウやうど、水菜、春にさきがけての山菜もでまわり、ウグイスも綺麗な鳴き声を披露し、猫の恋という言葉もあります。
かつては冬の鎮魂祭にまれびと(まれに訪れてくる神または聖なる人)に唱えられた呪詞が冬を転じて春のする力を持っているものと考えられていた。春は祝うべきだものだと伝えているのです。
大昔から日本人は、春が来るという気持ちを大事にしてきた。
今もその気持ちの続きに節分の夜に豆まきをするが、昔は春になると異郷から神が訪れてきてくれることを信じていた。その神は村々の生活が幸福であり、穀物の実りが豊かであることを約束して帰っていったのです。
初春になると歌舞伎の三人三吉(さんにんきちさ)のお嬢吉三(おじょうきちさ)、お坊吉三(おぼうきちさ)、和尚吉三(おしょうきちさ)の三人の白浪(しらなみ=盗賊)が上演される。大川端の場ではお譲吉三の「月も朧に白魚の篝(かがり)も霞む春の空」という名調子で春になった気分を満喫したことでしょう。
生命の復活の春
春は万物の生命が復活する。
自然の流れに沿いながら生活することは、大昔の人から伝わる生きるための知恵ともいわれるのです。
この気持ちを忘れず次の人たちに伝えていきましょう。
参考:ことばの歳時記(山本健吉著)、ことくらべ