生まれては消える無常の世界の「いろは歌」
生まれては消える「時の流れ」
宮崎駿さんのアニメなどを見ていると実物よりも本物らしく動いて見える躍動感と言ったらたまらないですね。
いや、実物以上の動きと言っても過言ではないと思います。
それにしても、1枚1枚の止まっている画を、連続して再現してスクリーンに映しだし、どんな動きでも表現することができる。
もう、アニメファンならずとも、この奇妙な点滅の世界を感動せずにはいられません。
これと同じように「時間の流れ」がある
僕らの住んでいる世界は、よく考えると一瞬一瞬ごとに生まれては消え、生まれては消えを繰り返している。
刹那(仏教の時間の概念のひとつで、きわめて短い時間、瞬間、最も短い時間の単位)ごとの点滅の連続を「時の流れ」という。
だから、時間はすんなりス―っとなめらかに流れるのではなく、ブツブツと途切れながら進んでいく。
仏教では、すべてが生まれては消えてゆくことを「諸行無常」の世界といい、
「あらゆる物事が日々、姿かたちを変えていく。だから、何もにも執着してはいけないのです。」
と説いています。
「生まれては消えてゆくすべてのもの」を仏教語で ” 有為・うい ” と呼ぶ。
「いろは歌」にある「うゐ」のことです
仏教は「有為の奥山」を超えたところにある、時の流れに翻弄されない平安の境地を目指している。
「いろは歌」とは
ここにある「いろは歌」とは弘法大師が作られたと伝えられてます。(諸説あります)
「あいうえお」のかな四十七文字を重複せずに、すべて1回ずつ使って作られた「誦文・ずもん」(呪文 (じゅもん) を唱えること。また、その文句)のこと。
その内容は仏教的で無常観を詠んだものとなっている。
文字を覚えるための手習い手本として有名な詩で、広く使われ近代になるまで用いられた。
「いろは」は初歩という意味が込められている。
それは「いろは」の「い」の字だろうとよく使ってますね。
「いろは歌」
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす『色は匂へど 散りぬるを』
『我が世誰ぞ 常ならん』
『有為の奥山 今日超えて』
『浅き夢見し 酔ひもぜず』
引用:総本山仁和寺
「花は咲いても散ってしまうのに」
昔の人は花が咲くことを「色が匂う」といい、その花は日本人が大好きな桜のことです。
一週間ほどでいさぎよく散ってしまう桜の花びらを人々は人生を重ね「無常」を感じていたのではないか。
「永遠に同じ姿でこの世に居続ける人も物もない」「つらく・きびしく険しい人生という山を今日も一つ乗り越えて」
「有為」とは「愛とか憎しみと言った形のないものまで含めてこの世に存在する全てのもの」という意味です。
「酔っぱらっているかのように、真理から目を背けはかない夢を見ないように」
「浅き夢」とは眠りの浅い時に見る夢のことで「はかない夢」のこと。
さくらの花は期待通りに見事に咲きます、
散るまでの1週間を精一杯咲きます。
僕たちの人生も何年・何十年という限りのある寿命という世界で無常の世(奥山)を越えていきていきます。
人生は苦るしみや悩みが多いけれど、毎日を一所懸命大切に生きて小さな喜びをたくさん見つけましょう。
参考:日々是修行(佐々木閑著)、Wikipedia、総本山仁和寺