日本の元祖ファーストフード「立ち食いそば」
蕎麦屋
駅の中やホームに必ずと言っていいほど「蕎麦屋」がある。
立ち食いそばだ。
立ち食いそば
営業で外回りをしていたころは、ずいぶんお世話になったになったもんです。
とにかく、早い、安いが特徴なので便利だし、低カロリーでもあります。
そして、美味しければ言うことなしです。自分の好みの味を見つけ、何度も食べに足を延したり、少し時間を遅らせて混雑時を避けたりとやってました。
駅中のそばやは、明治時代の後期頃から出始めて現在でも、主にサラリーマンが利用していますね。
トッピングもいろいろで、てんぷらもさることながら、意外と人気があるのはコロッケです。
そうです、大正時代に「カレーライス」「とんかつ」とともに「大正の三大洋食」として人気だったあの「コロッケ」です。
コロッケも店ごとに違いがあり、中の具に肉を入れたり、野菜を入れたりして、カレー味のコロッケもそばの上に乗せ提供しているのです。
若い人たちはもっぱら、かつ丼や親子丼、カレーライスなどとそばをコラボしたセットものをよく食べてますね。
うどんからそばへ
蕎麦の起源は江戸時代といわれているが、定かではなく、実は江戸も上方も”うどん” が主流で、そばはその傍らでうられていた。
いつの頃からうどんとそばが逆転したのか調べたら、明確ではないが寛延4年(1751年)に「蕎麦全書」という書物が刊行されていることから、この頃から江戸で麺類を扱うお店はうどん屋に代わり「蕎麦屋」を名乗り始めたとされる。
夜間に屋台を担ぎながら蕎麦を売っていたため「夜蕎麦売り」や「夜鷹蕎麦(よたかそば)」などと呼ばれた。
また、かついだ屋台に取り付けた風鈴が鳴る音から「夜鳴き蕎麦」という言葉が生まれたとか諸説紛々です。
その当時のそば1杯の値段は、16文で(今でも16文蕎麦という名がのこってます)現在の価格にしたら、1文は25円なので400円になります。
「江戸八百八町(はっぴゃくやちょう)にも、其数(そのかず)あげてかぞへがたけれども、うどんやとよぶは、万が一なり」と恋川春町の絵本「うどんそば化物大江山」に一文があり蕎麦屋が多かったことがわかります。
蕎麦の広がり
江戸時代の後期には、蕎麦粉と小麦粉を混ぜた蕎麦がひろがった。
- 「二八蕎麦・にはちそば」は蕎麦粉8:小麦粉2で打ったそば。
- 「十割蕎麦」蕎麦粉を糊化させてつなぎとし、蕎麦粉だけ使ったそばだが、切れやすいので蒸篭(せいろ)に載せて蒸し、そのまま提供していた。
現在でも盛りそばを「せいろそば」と呼ぶのはその名残です。
最後に今も人気の老舗蕎麦屋「江戸三大蕎麦」です。
- 藪蕎麦:雑司ヶ谷近くの藪の中に絶品のそばが人気になった。
- 更科:信州の更級郡(長野市)から1字を使い創業した。
- 砂場:大坂城築城に際しての資材置き場のひとつ「砂場」によるものとされる。
今では「立ち食いそば屋」ランキングも紹介されているし、東海道線の全店舗制覇したとか全国たち食いそば紀行まであり、日本人のそば好きがよくわかります。
冬は暖かく、夏は冷たくして、江戸グルメの粋なそばをツツツーと勢いよくすすり食べてはいかがでしょうか。
参考:Exciteニュース、Wikipedia、Little story