しっかり目を開けて夢を見よう

ともにほほえみ寄り添う有名な仏像「弥勒菩薩」

私たちは、子供のころから仏像を見ています。

知らず知らずかもしれませんし、意識をは特にしていなかったと思います。
それは、お彼岸に親といったお墓参りのお寺だったり、あなたの家の仏壇の中にあったり、また、遠足に行ったときに遭遇しているかもしれない。

東大寺の大仏様

三十三間堂の観音立像と千手観音

そして、修学旅行などで京都に行ったことがあるなら必ず参詣する、東大寺の大仏様蓮華王院 本堂(れんげおういん ほんどう)の三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)の見事な1000体の等身の観音立像に圧倒されたのではないでしょうか。

そのお堂の中央には、観音立像に囲まれて安置されているのが、丈六の坐像で「中尊・ちゅうそん」と呼ばれる「千手観音座像・せんじゅかんのんざぞう」です。

この巨像は、像高が3メートル余檜材の寄木造りで全体に漆箔が施されています。この千手観音坐像は、鎌倉時代の再建時に湛慶(たんけい)という大仏師によって作られました。

千手観音菩薩像を42手にするのは、中央の合掌した2手を除く40手の各手が、仏教で言う25有世界の生き物を救うとされるので、40に25を掛けて千と考えます。

あらゆる方法(千は無数)で人々を救う観音菩薩の慈悲を象徴します。国宝です。
また、たくさん観音像には、必ず会いたい人に似た像があるとも伝えられています。

観音立像
千手観音

不請の友

仏教の中では「不請の友・ふしょうのとも」という言葉がよく知られている。
こちらから別に頼みもしないのに心から思いやりを込めて、すぐにやってきてくれる友達のことをいう。

仏教のなかでの「不請」は、、いやいやではなく、仏や菩薩が衆生に対して進んではたらきかけることを意味する言葉なのです。実は、み仏そのひとのことをいっているのです。

弥勒菩薩

そのてんでは、京都広隆寺の有名な「弥勒菩薩」は梵語でマイトレーヤという言葉で「悲しみ」の意味で、別名「滋氏菩薩・じしぼさつ」と訳されることもある。

さらにはマイトリー(友情)、ミトラ(友人)を意味する言葉にも広く訳することができ、まさに友達のありようを見すえ、真実の友情を自ら実践している方であると言われている。

弥勒菩薩

弥勒菩薩の尊顔は、見るものに心を休める気持ちを伝え、ときにはほほえみ、ときには涙し、ときには怒りもする。人はどこでもおかまいなしに、憎しみ、妬み、うらみ、怒りして敵をつく憎悪を抱き悲しみあおうとする

そんな人間の憎しみをもつものを救おうとして努力を積み重ねてくれるのがみ仏の願いと説いています。
ともに悲しみ、ともにほほえみ、ともに力づけあおうとする慈しみそのもののお顔なのです。

ドイツの哲学者のヤスパースは「本当に完成され切った人間「実存」の最高の理念が、あますことなく表現されつくしている」と絶賛しています。

弥勒菩薩

今までに何度見ただろうか、その都度見るたびに尊顔の表情が違うような気がします、それは、きっと自分の心があらわれているのでしょうね。

時には相対して、その素晴らしいはかりしれない思いやりを受け止めると同時に何を訴えているかを静かに考えてみてはいかがでしょう。

参考:三十三間堂Wikipedia、仏像入門(石上善應著)

関連記事

コンテンツ