冷やし中華の発祥は仙台と神田神保町
冷やし中華の発祥は
夏が過ぎると中華屋さんから、冷やし中華が消えてしまうのがさびしいです。
大好きな冷やし中華は1年中、食べていたいひとつに数えられます。
僕の中での定番はキュウリの千切り、錦糸卵ハム、トマトなどを色とりどりに面の上に乗せて冷たいかけ汁をかけて食べるものです。
日本では昭和の初期から全国で各地で夏の麺料理としてたべられている。
7月の季語にもなっていて、夏を迎えると中華屋さんでは「冷やし中華はじめました」のポスターが必ず貼られますね。
主に昼食として食されることが多いそうで家庭食、中食、外食と夏の人気メニューです。
この料理はてっきり中国からはいってきたかと思いきや中国には無く、日本のオリジナル料理なんです。
発祥の地は2つ?
その発祥地を探ってみると2つあり、東京都千代田区神田神保町の「揚子江菜館」仙台市青葉区錦町の「龍亭」です。
神田神保町の「揚子江菜館」では、2代目の店主が日本の暑い夏にうんざりして、近所の蕎麦屋に通いつめていた。
注文はいつも「もりそば」で、サっと茹でた蕎麦を冷水にとり、締まった蕎麦をつゆにつけてするすると食する。
「もりそば」は見た目にも涼しく、汗もかかずに夏にはもってこいのメニューです。
そこで「冷たい麺をうちでもやってみよう」なんと、200回以上の試作を繰り返して現在の冷やし中華にたどり着いたのでした。
現在の冷やし中華の原型とされていている、五色涼拌麺(五目冷やしそば)。
様々な細切りの具を皿の中心から放射状に盛る独特の形式は富士山と積もる雪をイメージして作られた。
この冷やし中華は、池波正太郎さんが愛されたメニューで、日本酒を飲みながら食するのがお気に入りだったとか。
仙台市錦町の「龍亭」:涼拌麺
昔の中華料理店はエアコンなどなく油っこく熱いというイメージで敬遠され、売り上げが低下してしまっていた。
中華料理店の組合の会合で共通のこの問題の解決法と仙台七夕にたくさんの観光客訪れる目玉商品の開発について話し合いが行われた。
組合長だった龍亭の店主を中心に新メニューを開発した。
現在の冷やし中華とは異なり、暑い中でも食べていただける、夏バテ防止に野菜たっぷり食欲増進に酸味を加え試行錯誤の末に考案された涼拌麺・冷やし中華です。
両店とも1930年代に創作され、戦中・戦後は中断されたものの復活をしている。
冷やし中華愛好会
全日本冷やし中華愛好会は1975年に山下洋輔や筒井康隆、タモリなどのよって結成された。
略称は「全冷中」で、冬に冷やし中華を食べられないことに憤慨した山下洋輔が周囲に呼び掛けて結成した。
1995年には、冷やし中華の愛好家によって、7月7日が「冷やし中華の日」として日本記念日協会に登録された。
この日が二十四節気の「小暑」になることが多く冷やし中華がおいしい季節となるためだとのこと。
こんな記事を書いていたら、冷やし中華が食べたくなりました。