施しは生きる力 稲盛和夫も説く「自利利他」の心
大手電子部品・電気機器メーカーである「京セラ」の創設者の稲盛和夫は1997年9月に京都の円福寺というお寺で得度(在俗者が仏門に入ることを意味する)をし僧名を「大和・だいわ」とした。
自然や宇宙がわれわれ人間を一度きりの生を授け、絶え間なく成長発展することをその本然としたのか。
そのことは我々がどのように生きれば、その徳のある思いにこたえることができるのか。
心を高める
これは、壮大な問いであり、稲盛和夫としては「心を高める」こと以外に答えはないと思ったのです。
ですから、生まれたときよりも少しでも ”善き心” 、美しい心になって死んでいくこと。生と死のはざまで善き思い、善き行いに努め、怠らず人格の陶冶(とうや)に励むことなのです。
そのことにより生の起点よりも終点における魂の品格をわずかなりとも高めることと考え仏門に入ることにした。
この大きな目的の前では、今まで築き上げた財産、名誉、地位などは何の意味もありません。
どんなに出世しようが、事業が成功しようが、一生使いきれない富を築こうが、心を高めることの大切に比べれば一切は塵のごとく些細なものでしかない。
宇宙という意志が定めた、人間の一生が目指すものは、ただ心の鍛錬にあり、その魂の修業、試練の場として我々の人生を与えられているということになります。
このような心の鍛錬をし、心を高めるにはお釈迦さまが煩悩を克服する6つの徳目を説いた「六波羅蜜」の布施(ふせ)、持戒(じかい)、精進(しょうじん)、忍辱(にんにく)、禅定(ぜんじょう)、智慧(ちえ)の修行法を毎日の暮らしに中で心がけることが向上をさせることです。
六波羅蜜のことはこのブログで詳細を書いています。こちらを参考にしてください。
忘れられない修行
それから、短期間ではありますが、修行をしています。
かなり厳しい修行のようでしたが、その中で忘れられない出来事に遭遇しています。
肌寒い初冬、頭を丸め網代笠に、紺木綿の衣、素足にわらじという、いでたちで家々の戸口に立ってお経をあげて、施しを請う、托鉢の行をした時だった。
托鉢に慣れない身にとっては厳しくつらい、わらじからはみ出した足の指がアスファルトですり切れて血がにじみ、その痛みとの格闘をしながら歩き続けると身体が使い古しの雑巾のようにくたびれてしまいます。
先輩の修行僧と同行し、日暮れとなりようやく重い足取りで寺へ戻る途中、ある公園にさしかかったとき、公園を掃除していた作業服姿の年配のご婦人が、私たち一行に気がつき、片手にほうきを持ったまま小走りに近寄ってきて、いかにも当然の行為であるかのように、そっと五百円玉を私の頭陀袋(ずだぶくろ)に入れてくださったのです。
その瞬間、それまで感じたことのなかった感動に全身を貫かれ、名伏しがたい至福感に満たされたのです。
それは、けっしてその女性が豊かな暮らしをしているようには見えないにもかかわらず、一介の修行僧に五百円を喜捨することに、何のためらいもなく、またいっぺんの驕りも感じさせなかったからです。
利他の心
その美しい心は、私が六十五年間で感じたことのないくらい、新鮮で純粋なものでした。
その女性の自然な慈悲の行を通じ、たしかに神仏の愛に触れえたと実感できたのです。
この自然の徳行が「利他の心」教えてくれたのです。
JALの再生にも活躍し、日本の経済に貢献した稲盛和夫は、2022年8月24日老衰のため、京都市伏見区の自宅で死去した。90歳没
今回は、稲盛和夫のベストセラー「生き方」より抜粋して書きました。
お釈迦さまは「自利利他」を強く説いています。
他人を幸せにすることが「利他」、自分が幸せになる「自利」。
相手を幸せにすることが自分も幸せになることです。
参考:生き方(稲盛和夫著)