漏刻(ろうこく)とは水時計のこと
漏刻(ろうこく)とは
漏刻とは、水時計のことです。
中国で発明・使用された水時計。
管でつながった四つまたは三つの箱を階段上に並べ,いちばん上の箱に水を満たし,順に流下して最後の箱から流出する水を,矢を浮かべた容器に受け,矢の高さから時刻を知る。
箱を並べるのは水の流出速度を一定にするためである。
古く日本に伝わり,《日本書紀》によれば天智10年(671年)漏刻を置いたという。
大宝令では漏刻博士を置いて漏刻を管理させたが,平安末期に漏刻も漏刻博士も絶えた。
出典:コトバンクより
水時計はかなり古くからあり原理としては簡単でエジプトのバブロニアでは、紀元前1400年頃には作られていたという。
日本は中国から伝わったものとされる。
天智天皇が、その10年4月25日(現行歴の671年6月10日)に漏刻を作り、新天文台に据え鐘や鼓(つづみ)で時を報せたと日本書記に記されている。
天智天皇を祀(まつ)る近江(おうみ)神宮では毎年6月10日、時の記念日に漏刻祭が行われる。
漏刻の仕組み
漏刻は、階段状に並べた複数の水槽を銅の細いパイプでつなぎ、それを通って最下段の水槽にたまる水の量で時を測る仕組みになっています
しかし、当時は現代のように水道があるわけではなく、水の中にゴミや不純物などが入っていると導水管が詰まって水の流れが一定に保たなくなる。
また、冬季は水が凍ってしまったり夜間に活用するにあたり明かりをともし、そのための監視役も必要だった。
時間の誤差を防ぐために2つ以上の漏刻を設置して比較したり、南中(太陽がちょうど真南にくること)時を知り修正をした。
結構てまひまがかかり、たいへんだったのですね。
矢が示す目盛り
矢が時を指す目盛りは、1昼夜を12に分けて(12辰刻・しんこく)十二支の名称で呼んだ。
ご存知のとおり
- 「子の刻:前日23時~午前1時」、
- 「丑の刻:1時~3時」、
- 「寅の刻:3時~5時」
- 「卯の刻:5時~7時」
- 「辰の刻:7時~9時」
- 「巳の刻:9時~11時」
- 「午の刻:11時~13時」
- 「未の刻:13時~15時」
- 「申の刻:15時~17時」
- 「酉の刻:17時~19時」
- 「戌の刻:19時~21時」
- 「亥の刻:21時~23時」
1辰刻(現代の2時間に相当)を4つの核(4刻または4点)に分け、さらにその1刻(現代の30分)を10に分けていたことが「延喜式」などの文献で知らされます。
『延喜式』にはこの時刻制度によって季節ごとの日の出日の入り時刻、宮廷の諸門の開閉時刻、役人の出退勤時刻などが書かれており、その基準は漏刻によって知られる時刻ですから、漏刻の目盛もおそらく定時法で、1本に48の目盛を目盛って用いていたのではないかと考えられます。
(100の目盛であったとか不定時法であったとかの説もあります)
そして門の開閉時刻や1辰刻ごと、1刻ごとに太鼓または鐘を鳴らして時報を行ったわけです。
出典:近江神宮より
この12辰刻・48刻制で定時法による時刻制度をはじめ、現在の時報でいうと3分刻みの正確さで測っていた。
平安時代の文献には、日月食の時刻の計算も行われていたと書かれている。
奈良時代に入って太宰府や多賀城、各国府などにも漏刻が置かれていったことが文献に見え、平安時代の末までは使用されていたようですが、その後律令体制の崩壊とともに徐々に廃絶していったようです。
これに合わせて6月10日は「時の記念日」です。