パラアスリートの熱い魂
オリンピック、パラリンピックが終わり、各種目のアスリートたちの頑張る姿や、名言に感動しました。
ご存じでしょうか、小山田雅人というプロゴルファーがいます。
2歳の時に不慮の事故により、右腕の肘から下を切断しています。
そう、片腕のプロゴルファーです。
スポーツ万能の小山田さんは小学校でサッカーを始め、メキメキ上達して、ジュニアサッカーの県代表に選ばれました。
それから、野球をやっていたお兄さんにあこがれ、サッカーをやめて野球をはじめました。
これまた、中学時代はエースで4番打者県の大会に2位になりました。
片腕で投げて、打って、守ってとすごいことですね。
高校では甲子園を目指したが、監督から「片腕では選手は無理だからマネージャーになれ」と言われ、野球部をやめ高校も中退してしまった。
別の高校に行き、卒業して栃木県庁の職員となり、好きなゴルフを始めたのです
そのゴルフ場のクラブチャンピオンになり栃木県のアマチュア選手権で2位障がい者の日本オープンでなんと優勝し、世界障がい者選手権前腕切断の部で7度優勝しています。
ここまでの記事を読んで、いかがでしたか、いかにスポーツの能力が高いと言っても、片腕で練習を積みバランスを重視するスポーツで何度も優勝をするなんて全く頭が下がります。
ところが、話はこれで終わりではありません。
小山田さんが38歳の時に脳腫瘍がみつかり、それがステージ2の癌だったのです。
普通は、自分が片腕で今度は癌ときたら自分がなぜこんなことにならなければならないのかと落ち込みますね。
しかし、小山田さんはそんなことはありませんでした。
とはいえ、「手術しても早晩、死ぬかもしれない」と思ったそうです。
その時に、奥さんの妊娠がわかり、子供にお父さんの記憶を残したい。と県の職員を辞めプロゴルファーになろうと決心した。
この強靭な精神力は、なんだろう。
プロゴルファーになる決意をした小山田さんでしたが、手術で左側頭葉の7割を取り、記憶の一部を失いながら奥さんが買ってきた、野球のマスコットバットを左腕一本で3年間振り続け、見事にプロテストに合格したのです。
アクシデントはその後の山田さんを襲い今度は心筋梗塞です。
心臓の30%が壊死しました。
それでも、不屈の精神で克服し以前より飛距離を伸ばしているというからすごいです。
小山田さんの今後の目標は世界障がい者ゴルフ選手権で総合優勝することです。
また、パラリンピックでゴルフが正式種目になるまで頑張って、それに出場することだそうです。
小山田さんは、言ってます、
「ないものを嘆くより、あるものに感謝しましょう」
私は右腕をなくし、左側頭葉の大部分を無くしました。
しかし、残った左腕と右脳に感謝して今やっています。
人間は誰でも人生でいろいろなものをなくしますが、なくしたものではなく、今あるものに感謝して目標を持って前を向いて進みjましょう。
必ず道は開けます。幸せになれます!」
今をひたすら生きることの素晴らしさが伝わります。
参考:法音寺、