国の文化の違いを合わせる感覚
文化や感覚の違い
人々の感覚や行動の違いは長い歴史を持つ世界の国々の地域の文化の違いだと思います。
またもっと細かく言えば、地方地方の慣習が根差した文化のことです。
あなたはエレベーターに乗って向きを変えるときに、どこを見ますか。
たいがいは、エレベータ内にある閉・開 ボタンがある階数の表示板をみることが多いと思います。
これは、ヒトと目を合わせないようにするための行為だと思います。
もしくは、足元に目を落とすこともありますね。
欧米の白人の人たちは、アイコンタクトを重視する民族なので、知らない人と目が合うと軽く微笑んだり、あいさつを交わしたりします。
逆に目をそらす行為は、その人物が他者の心や人格への配慮を欠いている、というしるしになる。
コミュニケーションの基本になるということです。
しかし、過度に見つめあうのはにらみ合うことにつながり緊張を招き決して良いことではなくなよね。
その場の状況によって異なるが視線と視線が合ってから、目をそらすまでの適度のタイミングは3秒前後が自然とされている。
チームで行うスポーツなどではプレー中に目と目で何らかの合図を送って、意思の疎通を図る事が多い
特に球技スポーツでは、ボールを持っている選手がボールを持ってない選手に目で合図してパスを送ったり、その逆でパスを要求したりする。
いずれもお互いが気心がしれ、仲間のコミュニケーションが洗練されていることで、すばらしい連係プレーとなる。
ところが個人スポーツの特に武道においては、相手の目を見続けて動きを読みます。
僕は、空手を習っていたので目が怖いとよく言われました。
社会人になってあいさつする時にお辞儀をするときも目をそらさなかった。
これを直すに3年かかりました。
武道で黒帯を取った人は、苦労したのではないかと思います。
対人コミュニケーションの重要な要因のひとつとして「時間感覚」もあるように考えられています。
人類学者のエドワード・ホールはヒトの「時間の感覚」は
- 「モノクロニック(時間に厳しい)」
- 「ポリクロニック(時間に寛容)」に区別できるとされます。
これも、アイコンタクトと同じように国や地域の文化で「時間」に対する考え方が違うということです。
英語に「fashionably late」という表現があります。
直訳すると「ファッショナブルに遅い」と出ました。
まあ「かっこよく遅刻する」ということでしょうか。
パーティーなどで意図的に少し遅れて参加することです。
「パーティーをする方は準備に忙しい」「早めに行くと失礼に当たる」という感覚です。
試験時間や面談時間を除けば、待ち合わせ時間ジャストに相手が来なくてもまた、自分が間に合わなくてもお互いに謝ったりすることはないそうだ。
むしろ、待っている(待たせている)時間を有効に使って、他のこと(読書したり、仕事のだんどりを考えたり)を楽しむ、余裕ができたと解釈します。
まさに、前述した2分類のひとつポリクロニック(時間に寛容)です。
このように文化の違いはどこの国でも、いいとか悪いとかではなくあるものです。
自分に合わせて欲しいのは、やまやまですが、難しい問題です。
対人コミュニケーションをよくするためにも相手の文化を尊重してこちらから合わせるように心がけましょう。
参考:note、自分を変える100の教え(岡田昭人著)