賽銭箱・浄財・喜捨箱と三輪空の教え
賽銭箱
神社やお寺に行くと賽銭箱に「浄財」と書かれていたり「喜捨箱」と書かれていたりしています。
歴史的に何かあるのかなと調べてみました。
まず、賽銭箱という「賽銭」とはどんなことを指すのか。
「賽銭」とは
祈願成就のお礼参りの際に、「報賽」として神仏に奉った金銭のこと。
金銭が流通する以前は、拝者は(金銭に相当する物として)米を神前に撒いたり、あるいは洗米を紙に包んで奉っていました
引用:大國魂神社
賽銭の「賽」は「神から福を受けたのに感謝して祭る」の意味です。
ここでいう、祭る(祀る)は「飲食物などを供えたりして儀式を行い、神を招き、慰めたり祈願したりする」こと。
やり方としては、お米を神前や仏前にまく「散米」や、洗った米を紙に包み供える「おひねり」だった。
中世以降に金銭が供えられるようになり、庶民に貨幣経済と社寺への参詣が広まった時期になります。
参詣が一般化し都市の風習として賽銭をあげることが流行になった。
賽銭箱が置かれたのは近世以降(室町時代からと言われている)からで地域によっては長い間、お米が供えられて
いた。
米を奉納していたのは、米には神様の魂が宿り、邪気払いや魔よけができるとされていたからです。
この米を水に浸してから奉納する打撒(うちまき)は、より効果やご利益が期待できる方法だったようです。
節分の時の豆まきは、この賽米や打撒きがルーツとされています。
「浄財」の「浄」は「浄化」や「清浄」という言葉の通り「清める」という意味があります。
「財」は、「財産」や「蓄財」「散財」などの言葉の通り「自分の大事なもの」「価値のあるもの」を意味します。
上記をまとめると「浄財」は、「きよらかな金」。利得や報酬を考えないで寄贈する金銭となります。
「喜捨箱」の喜捨は、コトバンクで
喜んで寺社や貧しい人に寄付すること。浄施。施与。寄進。
引用:日本国語大辞典
喜捨箱は寺社だけではなく、いろんなところで見かけますね。
喜捨(きしゃ)は、読んで字のごとくで「喜んで捨てる」ということです。
大事であり大切な身銭を神仏のために喜んで捨てる(奉納する)ということでしょうか。
お布施のことを喜捨とも言います。寺院で生活する人たちは、お檀家のお布施で支えられています。
布施とは梵語(サンスクリット)で「檀那(旦那)(ダーナ)」といい、旦那さんやお寺の「檀家」は布施が
語源です。
布施の心がけとして「三輪空(サンリンクウ)」を行いなさいと教えられています。
- 施者が・・・(私が・・)
- 受者・・・・(誰に・・)
- 施物・・・・(何々を・)
この「三つの心を忘れるようにしなさい」という教えです。
これらのことを覚えていると「してやったのに」という気持ちが芽生えて、腹立たしくなったり、イライラ
して自分も悩むからです。
このことは、お賽銭の奉納時も同じだと思います。
せっかくお参りしたのにとか、お賽銭も奮発したのにちっとも願い通りにならないじゃないかと八つ当たり
したりする。
昔から日本人の「施して報いを求めず受けて恩を忘れず」の精神で、気持ちよく爽やかに参りましょう。
参考:神社・寺 御朱印めぐり.com、仏陀のことば、Wikipedia、大國魂神社、