心の中身を映す鏡の身なりを整える
面接などで人を見る時は、初めて会った瞬間の ″感じ”を大切にしますね、それから面接での受けごたえや考え方を重視します。
もちろん身なりや立ち居振る舞いなど総合的に判断をするわけです。
人の中身
しかし、人の中身はそう簡単にわかるものではないですね。
人を雇う時や人と付き合うときは、信頼できる良い人を相手にしたいものです。
一般的に性格の良い人間を仲間に向かい入れて、一緒に仕事をしていこうと考えます。
「人の心なんかわからない」「理解できません」とよく言われますが、その通りで人の心の中身まで読めないのが普通です。
身なりを整える
そこで、考えられたのが「身なりを整える」ことだと思います。
人の性格は生まれつきもあるでしょうが、親のしつけや教育、習い事などで自然と形成されていきます。
その中には、他人との付き合い方やルール、礼儀作法も含まれています。なので、「見た目」で判断しても、人の性格はそれなりにわかるものです。
人は考えて、判断して、行動します。
その行動を見て、何を考えて何を判断しているのかを推測できるわけです。
自分のとる行動や立ち居振る舞いが、心の中身を映す鏡となります。
それだけで決めつけられるほど簡単でないのが世の中ですね。
身なりの4つのタイプ
身なりのタイプには4つあるといいます。身なりの良いタイプが2つと、身なりの悪いタイプが2つです。
- 心の中身がよくて、素晴らしい才能の持ち主ですが、身なりをあまり気にしない人
- 性格も身なりも身の周りの整頓も、いずれもだらしない人
- 中身は全くできていなくて、性格も信頼できないのですが、身なりを整えることで。それをカバーしようとする人
- あまりにも神経質で、身なりや身の周りの整頓を厳密に整えないと落ち着かない人引用:1日を変えるブッダの教え(アルボムッレ・スナサーラ著)
があるようですが、人間関係においては、身なりについてはよっぽどのことではなく、そこそこ気にする必要はありません。
やはり、なんといっても人を選ぶときは性格を重要視することがポイントです。
心清らかであれ
前述したように、絶対的に必要なものは「心の清らかさ」です。
心が清らかになると、見た目が整います。心はよいのですが性格はだらしがないなどという矛盾は成り立たないのです。
服装、行儀作法、食事、祈り、読経、行、祭りなどを行うことに必死になり、見た目だけの、身なりだけを磨くことに時間を取られ、心の状況を観察する余裕がなくなってしまいます。
一部の人は勘違いをして、そんな表面だけをみがくことに努力します。
何十年間も行をやったこと、菜食主義でいたことなどを自慢げに話します。
その人々は、身なり論を誤った「犠牲者」かもしれません。
たとえおしゃれをしても、おいしいものを食べても、普通の社会でみなと仲良く、楽しくいきていても、心の清らかな人がすばらしいのです。
参考:1日を変えるブッダの教え(アルボムッレ・スナサーラ著)