自分を知り まっすぐに見る
「世界で一番最大のことは、自己を知ることである」とはフランスの代表する哲学者のミシェル・エケム・モンテーニュが言った言葉です。
全思想の中心のテーマとして不動のことは ”自分とはなんぞや”でしょう。
自分のことは自分がよくわかっているとよく言われてきたが、古代ギリシャからいわれてきたように、最もわからないものが自分自身なのですね。
これだけ科学が発達して、宇宙の世界がわかっても、30億の遺伝子が解明されても、AI技術が格段に進化しても依然としてわからないものが自分自身なんです。
苦笑してしまう話
窃盗団が山中で宴会を開いた。もちろん、盗品でないものは何ひとつない。中に輝く金盃があった。それで、回し飲みをしているうちに金盃がなくなったので、親分株が立ち上がり、目を釣り上げて怒鳴った。
「さては、この中に盗人がいるな」己が窃盗団のボスであるのを忘れなければ言えないことにちがいない。「昔のニワトリは、夜明けに必ず鳴いて時を知らせたものだが」
引用:なぜ生きる
「今は、ニワトリまでがナマクラになって、困ったもんだ」
耳の遠くなったことに気づかぬ老夫婦の会話です。
デンマークの哲学者セーレン・オービュ・キェルケゴールは、自分自身を忘れるという、最も危険なことが世間では、いとも簡単になされていると警告している。
知っているはず
「知るとのみ 思いながらに 何よりも 知られぬものは おのれなりけり」ですね。
どうしてこんなにも自分のことが分からないのだろう。
「目、目を見ることあたわず、刀(とう)、刀を切ることあたわず」
どんな視力の良い人でも、自分の目を直接見ることはできないし、銘刀の正宗でも銘刀自信を切る事はできない。
遠くを照らす灯台も、その下は真っ暗なように、他人のことはよくわかるが、自分のことは盲目になってしまう。
子供の頃から「他人に対して笑われるような者になるなよ」と親や学校の先生から言われtれました。
そのため他人からどうみられているか、常に気を使って神経をすり減らしますね。
他人の言葉に一喜一憂するが、果たして、その他人が適正な評価をしているかとは思えません。
「今日ほめて、明日悪くいう人の口、泣くも笑うも、ウソの世の中」と、これは一休さんの言葉です。
自分に都合の良い時は善い人で、都合が悪くなれば悪い人といいます。
「昨日の味方は、今日は敵」と心の変化が裏切りを起こすのでしょう。
司法界のベテランぞろいと思われる最高裁判所でも、10対5とか、8対7とか、意見の一致はみられない。
色メガネを外してみよう
自分自身のことに欲目や我見の色メガネをはずして、みることは不可能といわれている。
乙姫さんが魚たちに、こんな質問をしました。
「この玉の色を見分けたものには褒美をあげよう」
黒鯛は「黒」です、鯖は「青色」です、カレイは「薄茶色」とみんな答えが違った。
「どれが本当の色ですか」「玉は無色透明、皆さんの色が映っただけです」と乙姫さんは笑ったという。
大事な見えない心
仏教では「心」「口」「体」から私たちを評価します。
その中でも重視しているのが「心」です
ロシアの文豪ツルゲーネフが貧しかったころ、訪れた乞食に何一つ与えるものがなかった彼は「すまない」の念い一杯から玄関へ飛び出してゆき、、乞食の手を取り ”兄弟” と涙ぐんだ。
後日、乞食は、あんなに嬉しいものをもらったのは生涯なかったと述懐したという。
外にあらわれる体や口の行いよりも、見えない心が大事にされるのは、体や口の行いは心の指示によるからでしょう。
「殺るよりも 劣らぬものは 思う罪」といわれるように、口や体で作る悪よりも、悪いことを想う罪は、はるかに重いと仏教は指摘する。悪い考えは、悪い体や口の行いの元は心にあるからです。
自分の考えにはどうしても、色メガネをかけてしまい、ゆがみが生じる事を自覚し、物事を真っ直ぐに見る努力をすることが、幸せに生きていく上で、とても大事なことなのです
参考:なぜ生きる(高森顕徹著)、幸せのタネをまくと、幸せの花が咲く(岡本一志著)