予測できるのか人が嫌う「ランダム」
人間の脳は「ランダム」を嫌います。
昔から、ある優れた「パターン」とともに進化をしてきました。
家の外の雲が鉛色になり黒ずんでくれば、あわてて洗濯物を取り込んだり、赤ん坊の顔が赤みを帯びてくると手をひたいにのせて、熱がないかを調べたりする。
私たちは自分が周囲を観察したデータを一定の型にはめようとする。
そうすることによって、そのデータに意味を与え、データを利用してさまざまなことに理解をし、これから起こる未来の出来事を予測しようとする。
ランダムとは
このようにパターン化しようとする人間に対し「ランダム」は全く予測のつかないことであり、私たちの本能ともいうべきところに合わないからで、見つけようにも見つけるべきパターンがそこには存在しないのです。
ランダムを辞書(Wikipedia)で調べてみると
事象の発生に法則性(規則性)がなく、予測が不可能な状態のこと。
とあり、正確に予測は難しいです。
ならば、ランダムを理解しなければ、頭だけで考えられる存在で実際にはどこにもない世界(完全に予測可能な宇宙)に閉じ込められたままとなり、そこから抜け出る事は不可能だ。
ニューヨーク大学ジャーナリズム論教授のチャールズ・サイフェは、宇宙を自分が見たいようにみるのではなく、ありのままに見ることができるようになると、ランダムに関し3つの法則を説いている。
ランダムの第一法則
この世界にはランダムなものがある
ランダムそのものを直視しないように、無関係な出来事を結びつけ、そこに何か宇宙の隠された法則があるかのように語る。
世間でよく言う、良い時には良いことが重なり、悪い時には悪いことが続くものだと思いがちです。
世の中におは運気というものがあり、幸運も不運も単独ではおとづれないと。
その運は、星の位置であったり、月の満ち欠けであったり、天空の惑星のせいではないかと真実人もいる。
ましてや、がんなどの悪い病気になると、どうしても何かが影響をもたらしているのではないかと、つい犯人探しをしてしまう。
どんなに考えても、私たちの身や、身の回りに起きる出来事のほとんどは完全に予測できない。
また、原因も完全には説明できない。災害はランダムに起きる。
良い人であれ、悪い人であれ同じように災難は降りかかる。星回りの良い人と悪い人が同時に災害に遭うことはよくあることです。
近所に、やせ細ったよく病院に通っている人と、同じ近所で恰幅も良く明るく顔の色も艶やかな人がいて、どちらが長生きするだろうと思っていたら、やせ細った人が長生きをしている。こんな事例はよくある。
ランダムの第2法則
絶対に予測できない出来事がある。
ラスベガスのカジノでは、「今日は、自分はついている」と思っている人も多くいるはずで、大当たりをして、このまま勝ち続けると思い込んでしまうから、さらに賭けを続けます。
逆に、同じ場でも負け続けている人もいるのでしょうが、不思議に賭けをやめずに続けている「こんない負け続けているから、もうそろそろ勝つ頃だ」と思っているのです。
しかし、実際には、誰かを勝ち続けるようにする不思議な力はこの宇宙には存在しないのです。
もちろん負け続けている人に「そろそろ勝たせてあげよう」と思う神様もいません。
ルーレットの回転は1回、1回が独立をしていてお互いに何の関係もない。
勝っている人や負けている人を観察しても、そこには何の手がかりもないのです。
結局、それぞれが独立した偶然の出来事には何のパターンも存在しない。存在しないものは見つける事はできない。
宇宙はあなたが勝とうが負けようが全く気にも留めない。
ランダムの第3法則
ランダムな出来事は単独では予測不能だが、多数まとめると予測が可能になる。
ランダムな出来事は、どれほど必死になって追求しても、高度な理論を駆使しようとも予測ができない。恐ろしいものです。
ランダムな出来事は、いくつかのルールがあり、個別にはまったく予測できないが、個々に独立した出来事を多数まとめると、かなりの程度、予測が可能になるという。
ランダムな出来事を平均化し計算をする。繰り返された場合の実際の平均数は予測される平均数に近づいていくことがわかっている。
ランダムな出来事であっても、短期的には無秩序で不思議なものに見るが、長期的には秩序正しく理解もしやすい。
ランダムがランダムでなくなるとは、こういうことを言うのでしょうか。
第3法則は学者さんや研究者に任せて私たちは、ランダムはランダムでいいのではないか。前述したように、不安や不思議なことも人生と捉えた方が面白いと思いますが、どのように感じますか。
参考:天才科学者はこう考える(ジョン・ブロックマン編)