傘の歴史、日本では
和傘の歴史
日本書記に中国から552年に欽明天皇に献上されたと書かれている。
主に日よけ用の「日傘」として使われていたが、日本独自の構造の進化で、雨の降水にに対して使われていくことが多くなった。
当初から「唐傘 からかさ」と呼ばれ、江戸時代に竹細工や和紙の技術の進歩とともに和傘がつくられた
和傘の種類
- 「番傘 ばんがさ」
- 「蛇の目傘 じゃのめがさ」
- 「端折笠 つまおれがさ」
などの種類があり、蛇の目傘は上からみると蛇の目模様に見えるようにしたもの。
和傘の骨は洋傘が数本に対し、数十本の骨が用いられ竹で造られた骨が、竹の力で骨と張られた和紙を支える構造になっているからです。
傘を専門に制作する唐傘職人があらわれ、江戸時代には広く普及するようになった。
元禄年間からは、僧侶や医者たちにも使われるようになり歌舞伎の小道具や「名所江戸百景」には町人が夕立に会い傘をすぼめて急ぐ姿が生き生きと描かれていて、生活必需品として普及していた。
しかし、明治時代以後になると洋傘の普及で和傘は急速に利用されなくなった。
洋傘の歴史
傘が使われ始めたのは約4000年前と言われエジプトやペルシャの壁画に残されている。
傘が一般的に使われだしたのは、古代ギリシャ時代で貴婦人たちが日傘を従者に持たせて歩いていた。
その頃の傘は開いたままで、すぼめることはできなかった
- 13世紀にイタリアで開閉式の傘が作られたとされる。
- 17世紀にフランスでは、町中で2階から投げ捨てられる汚物を避けるのに女性には傘が必需品だった。
- 18世紀ごろにイギリスで現在の構造のものが開発されたが「日傘」として開発されたため、雨の日には濡れていた。
しかし、やがて時が経ちイギリスの男性も使うようになった。
洋傘の普及で、折り畳み傘、ジャンプ傘、ビニール傘などが大いに普及した。
折り畳み傘
骨の部分が2つに曲がり、中棒も半分に収まり折り畳めるようになってる。ドイツ人が発案し特許取得していた。
ジャンプ傘
傘を開くときに骨の受け骨がバネの力で開く構造。
最近では閉じるときも自動でできる傘もあります。
ビニール傘
傘布にビニールを使用した。
日本はビニール傘消費量が世界一です。
日本で開発され作られたビニール傘は、もともと傘に対しての思いが違うヨーロッパやアメリカなどに斬新に映ったのか飛ぶように売れた。
今では、コンビニなどでも売られ、なんと毎年6000万本~7000万本のビニール傘が販売されている。
洋傘の輸入数量は1億2900万本になり、そのうちの99%は中国からの輸入です。
もはや、傘のほとんどは中国に頼らざるを得ないのが現状です。
近年では若年層を中心として、降水確率が低い天気の時に携帯していた、折り畳み傘を持ち歩くことが少なくなり折り畳み傘の需要は減少している。
雨の時には必需品の傘ですが、様々な危険を伴う時があります。
持ち歩きの時には、傘を前後に振ると後ろの人に傘の先端が当たる場合があります。
自転車のハンドルなどに傘をかけて走っている人を見ますが
何かの拍子に傘が車輪に巻き込まれて転倒する事があります。
また、傘をさしている同士がすれ違う時には、昔から言われる「傘かしげ」をしてお互いに注意しましょう。
傘は、雨が上がると「忘れ傘」となり、忘れ物の上位にいます。
急に雨が降ると盗まれやすいものの代表になります。
傘を貴重品と考えない人がほとんどと言われる現代は、急な雨で購入した物の、持ち歩くのが不便であったり、自分の所有している傘が多かったりして、駅の改札付近やバス停の柵などにかけてし遺棄してしまう人が多い。
一番注意しなくてはいけないのは、大人が傘をたたむときなど平行に持つと傘の先が子供の顔の位置になり、非常に危険です必ず「U字部分の手元を持ち、傘の先端が地面の方向に向かうように持つ」ことが大事です。是非、意識してやりましょう。
雨の日も、少しだけ思いを巡らせて危険を回避し、心地よく過ごすようにしましょう。