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日本の古都の文化財「京都五山の送り火」

京都では8月に入ると家々で精霊(祖先)の迎えの行事が行われます

そして毎年、8月16日は「五山の送り火」が行われ、この精霊を再び冥土に送り返すという意味があり、京都の夜空を彩ります。

8月16日の午後8時より約1時間、京都の市内を囲む山の中腹に巨大な『大』『妙・法』の文字、船、鳥居の形が相前後して点火され、これらを総称して大文字五山の送り火と呼ばれています。

京都五山の送り火

実際の送り火を灯す場所は

  • 東山如意ヶ嶽(ひがしやまにょいがだけ)午後8時から「大」の文字
  • 万灯盧山(まんどうろうやま)午後8時05分から「妙」の文字
  • 大黒天山(だいこくてんやま)午後8時05分から「法」の文字
  • 西賀茂舟山(にしがもふなやま)午後8時10分から「船形」
  • 大北山(おおきたやま)午後8時15分から「左大文字」
  • 嵯峨鳥居本曼荼羅山(さがとりいもとまんだらやま)午後8時20分から「鳥居形」

以上が概要になります。

京都五山送り火の起源

五山送り火の始まりは、平安時代に遡ることができると言いますが、定かではありません。

一説には、戦国時代に盛んに行われた行われた万灯会(まんとうえ)が、次第に山の中腹に点火され、盂蘭盆(うらぼんえ)の大規模な精霊送りの火となっていったのが起源という。

また、記録として出てくるのは江戸時代(1603年「慶長日件録・けいちょうにっけんろく」)で、「晩に及び冷泉亭に行く、山々灯を焼く、見物に東河原に出でおわんぬ」という記載があった。

日本の政治の中心地として京都は長く続いていました。
応仁の乱(1467年〜1477年)が起こり、多くの人が犠牲となり京都も荒廃しました。
また、異常な気候変動は暴風雨、地震、洪水、火災が続発し、これは戦で命を落とした人たちのたたりだと考えられ、その怨霊を鎮めるために始まったのが、送り火ではないかとも言われている。

通常お盆は、迎え火ではじまり、送り火を焚いて終わりますが、京都五山に迎え火はありません
送り火だけなのです、これも諸説ある中で迎え火を行うと招かざる魑魅魍魎(ちみもうりょう)をも迎え入れてしまうために送り火だけが現代に伝わっている。

また、送り火の消炭は疫病除け、魔除けになると伝えられていて、盆やコップに水を注ぎ、その水に送り火の灯を映して飲めば中風にかからないという言い伝えがあります。

大文字の送り火:「大」の文字の筆者には、臨済宗の禅僧・横川景三(おうせんけいさん)とか真言宗回その弘法大師・空海など諸説あります。

松ヶ崎妙法送り火:「妙・法」の字は,涌泉寺(ゆせんじ)の寺伝によると,徳治2(1307)年松ヶ崎の村民が,日蓮(にちれん)の法孫である日像(にちぞう)に帰依し,法華宗に改宗,その時,日像が西山に「妙」の字を書き,下鴨大妙寺(だいみょうじ)の日良(にちりょう)が東山に「法」を書いたと伝えられています。

船形万灯籠送り火:「船形」の舳先(へさき)は西方浄土を指していると言われ,精霊船の意もこめられていると伝えらえれています。

左大文字送り火:この山は,岩石が多くて火床が掘り難いところから,以前は篝火(かがりび)を燃やしていましたが,現在は山の斜面に栗石をコンクリートでかため火床を使用している。

鳥居形松明送り火:以前は,親火より松明(たいまつ)に火を灯して,各火床の青竹に突き刺していましたが,現在では,鉄製受皿が各火床に設置され,その尖った芯に松明を突き刺して点火しています。

京都五山送り火は、テレビや各メディアにも取り上げられ、明治時代になると古都京都の代表する行事として注目を集めた。

京都五山送り火は葵祭、時代祭、祇園祭とともに京都四大行事に数えられています

テレビ中継などで楽しみましょう。

参考:フィールド・ミュージアム京都気になる話題アラカルト

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