以心伝心の意味とは
以心伝心(いしんでんしん)とは
以心伝心は日常でもよく使いますね
以心伝心とは、言葉や文字を使わなくても互いの気持ちが通じ合うことのたとえ。
引用:古事ことわざ辞典より
こんな使い方をします。
- 「よく分かりましたね以心伝心ですね」
- 「あのコンビは以心伝心のコンビネーションで活躍すると思うよ」
「心をもって心に伝える」と読みます。
読んでも聞いてもなにかそのいわんとするところがわかるような気がする。
なかなか、そこまでは到達できないもの、そこまでいけば立派なもんです。
「心をもって心に伝える」の心とは、一体どんなもんだろう。
心はどこにあるのだろうか、どのような形をしているのだろうか、赤っぽい色なのか白に近いのかどんなふうにしてあるのだろうか。
その正体は誰も知らない。
「眼は口ほどにものをいう」とよくいう。
確かに眼を見ているとその人の考えていることや、いいたいことがわかるとされる。
僕も空手を習っているときに、初心者は組手で相手の眼をよくみなさいと言われました。
実際に稽古をつむと、相手の眼を見ていると動きが瞬時にわかるのです。
これは、言葉では説明できません。
その眼を見ていると相手の全体像が入ってきて、相手は右足では蹴れないな、右の突きを気を付けていればいいなと、これも瞬間に察知するのです。
生活面では道路上の往来で、前から来る人とぶつかったことは一度もありません。
前から来る人が右か左にどちらに動くのかがわかります。
時々はその前に、簡単にいうと催眠術のような動き方をこちら側でしています。
ですからぶつからないのです。
もっと不思議なのは、相手がまっすぐ歩いてきてもぶつかりません。
これは説明不可能です。
ただ言えるのは、この現象は初段をとって黒帯を締めてからでした。
さて、私たちはこの正体不明の心と共に生活し、喜怒哀楽の人生を過ごしている。
こんな心に伝えていくとは一体なんだろうか
禅の言葉から波及したこの言葉は仏教的に解釈すると、「人間のあるがままの姿を指しているもので実体的存在をいっているものではない」
禅宗に「不立文字(ふりゅうもんじ)・教外別伝(きょうげべつでん)」という有名な文句がある。
- 不立文字とは、経典(文字)によりかから(立)ない、とどまら(立)ないという意味です。
経典は熟読し塾学し尽すべきだが、それだけに頼り、すがっていては禅の教えは会得できないということです。
- 教外別伝とは、経典(教)に書かれていないものを特別に伝授するのが禅であるという意味です。
不立文字も教外別伝も経典をないがしろにすることではなく、禅の神髄は経典の言っている内側にある内容を越えたところにあると言っている。
経典は真理への指標に過ぎないといい、なので、禅の神髄は以心伝心だということです。
なかなか、会話をしなくても心が伝わることは難しいものです。
親と子、親しい友人、愛する人たちと、言葉を越えた心の意思伝達ができる素晴らしさを味わいましょう。
参考:STUDY-z、古事ことわざ辞典、Weblio、仏教語源散策(中村元編著)