江戸時代から人気の花見と和風月名の「弥生」
「弥生」は、太陰暦(陰暦・旧暦ともいい、月の満ち欠けの周期を基にした暦のこと)の3月を表す和風月名。
現在では、太陽暦(新暦といい、地球が太陽の周りを回る周期(太陽年)を基にして作られた暦のこと)を使い、1月~12月であらわすようになり、旧暦で使われていた季節感あふれる和風月名が使われなくなった。
しかし、新暦になった今でも季節感があっているおかげなのか、言葉そのものに風情を感じたり親しみがあるのか「弥生」や「皐月」など、今でもあちこちで耳にし、また、よく見かけますね。
旧暦の月の和風の呼び名
- 睦月(むつき) 1月
- 如月(きさらぎ) 2月
- 弥生(やよい) 3月
- 卯月(うづき) 4月
- 皐月(さつき) 5月
- 水無月(みなづき) 6月
- 文月(ふみづき/ふづき) 7月
- 葉月(はづき) 8月
- 長月(ながづき)9月
- 神無月(かんなづき)10月
- 霜月(しもつき)11月
- 師走(しわす)12月
と、旧暦の季節や行事に合わせたものがおおいです。
このほかにもたくさんの異称があります。
弥生の由来は
弥生の語源は草木の芽吹く「いやおい」がつまり「やよい」なったとされる説が有力のようです。
弥生の「弥」はいよいよ・ますますで、「生」は草木が芽吹くことの意味です。
このほかにもべ別名・異称があります。
- 晩春(ばんしゅん)旧暦では1月から3月が春といい、その春の最後の月に当たるのため。
- 花惜月(はなおしみつき)春の終わりで、花が散る季節でもあるため、花を惜しみ。
- 雛月(ひいなつき)3月3日を含む月であるので
その他 - 花見月(はなみづき)
- 花月(かげつ)
- 夢見月(ゆめみづき)
- 暮春(ぼしゅん)
- 健唇月(けんしんづき)
- 桃月(とうげつ)
など。
上巳の節句
3月最初の巳の日は上巳(じょうし)と呼び、上巳の節句(節供)は江戸時代五節句の一つでした。上巳の節句は、桃の節句、雛祭りとも呼ばれています。江戸幕府の公式行事であり、女の子のいる家庭では雛人形を飾り、菱餅、霰、白酒を供えて娘の成長と幸福を願いました。
花見
江戸の人々も桜が大好き。桜が咲き始めると長屋をあげて連れ立って花見に繰り出し、桜の花見を楽しんでいました。そして、大勢の人が集まる花見の場は、桜の花だけではなく、花見に集まった人々も見物の対象でした。このため、花見用のおしゃれをして花見に出かける江戸の女子たちも多かったと言われています。
江戸の花見の三大名所は、上野東叡山・飛鳥山・墨堤(ぼくてい)をさします。
墨堤は、隅田川の土手のことで、4代将軍徳川家綱の頃に桜を植え、8代将軍吉宗が桜100本を増植させました。墨堤は飛鳥山ほど遠くなく、上野のように堅苦しくない場所のため、花見客でにぎわいました。船に乗り込んでの見物も楽しみ、堤の土手には茶屋がたくさん並びました。
野遊び
あたたかさを感じる気候が良い春の一日を、外に出て野や磯で遊ぶ「野遊び」が行われるのもこの時期です。ちょうど大潮になる時期で、品川・高輪・洲崎等には干潟ができ、人々は繰り出して潮干狩を楽しみました。 また春の野でよもぎ、せり・つくしなどの摘草をすることも楽しみのひとつだった。
これらのことは、かなりたくさんの錦絵として描かれています。
出典:国立国会図書館「日本の暦」 (https://www.ndl.go.jp/koyomi/)
冬から春へすべての生命が生き生きと陽を浴びるころになり、復活する時期ですね。
日本の四季を眼で耳で味覚でおおいに楽しみましょう。