鬼門とは何か 迷信か陰陽道と風水
鬼門(きもん)とは
十二支の方角では、丑(うし)と寅(とら)の間になり、方角では北東を指す。
日本では古くから忌み嫌われてきた方角のことで、物事をするのには避けたほうが良い方角を意味します。
また、鬼門とは反対の南西の方角を裏鬼門といい「鬼の通り道」と考え何事をするにも避ける習慣があった。
日本では古来から鬼が出入りする方角であるとして、万事に忌むべき方角としている。
中国から伝わった風水と陰陽道ですが、風水では鬼門を必要以上に恐れてはいない。
陰陽道と鬼門
陰陽道が日本に伝わり日本の神仏習合思想と深くかかわりをもち、日本独自の家相の発展が鬼門を異常に恐れる大きな要因とされる。
平安時代の中頃から京都を中心に陰陽道の思想が浸透し宮廷でも祭祀や呪術が盛んに行われるようになった。
この時代には病気や疾病、地震や火災、天災などの災いのすべては邪悪な鬼の仕業と考えられていた。
平安時代に陰陽道の宗家となったのが有名な安倍晴明を輩出した安部氏、賀茂氏などです。
鎌倉時代前期に書かれた「陰陽道旧記抄」によると「竈(かまど)、門、井、厠(かわや)者家神也云々」とあり、竈、門、井、厠など病気に直結する場所を神格化させ、諸々の宅神から祟り(たたり)を受けないように祭祀を行っていた歴史がある。
鬼の門と名の付く北東方位を他の方位方角よ
り恐れるようになった。
当時の宮廷では、京内を鬼などの邪悪なものが出入りできないように京都の東西南北を囲んで結界を築き四角四境の祭祀を行っていた
明治時代以降は、鬼門の思想を批判する書籍が出て鬼門の考え方は表向きには、単なる迷信として扱われるようになった。
しかし、実際は明治時代以降も鬼門や裏鬼門を「不吉な方角」とみなす人も少なくなく、現代でも忌み嫌うべきものとして扱う傾向があります。
風水からみた鬼門の考え方
風水から見た鬼門の考え方は、日本の陰陽道の思想や家相の考え方とは大きく異なる。
風水の考え方では鬼門や裏鬼門は単に「運気が出入りする場所」としてとらえる習慣があり、陰陽道のように「鬼の通り道」「不吉な方角」ではない。
したがって、風水から家の間取りなどを考えるときは、鬼門や裏鬼門を封じることはしないで、運気がスムーズに出入りできるような対策を立てることが多い。
「運気が出入りする場所」は気が不安定になりがちなので、北東や南西の方角は常に清潔に保つことが大事です。
風水では、汚れや乱雑な状態を邪気として嫌う習慣がある。
運気が出入りする場所が汚れていたり、散らかっていたりすると、このような邪気の影響で悪い変化が起こりやすくなると考えられている。
飲食などではよく盛り塩を置いてますね。
盛り塩も鬼門や裏鬼門の対策として、強力な浄化作用のある、精製していない粗塩を用いる。
小皿にもっておいとくだけで、その場の空気が浄化されると考えられている。
現代の住宅事情では明るい南側をリビングにする傾向があり、北側に水回りが集中し鬼門にかかってしまうケースが多いです。
昔に比べ、さまざまな設備が整った現代では鬼門での影響はなく、迷信としてかたずけてしまうのがよいようです。
参考:Weblio、ニフティ不動産、ARUHIマガジン、Wikipedia
、