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熱気球太平洋横断の冒険

空の不思議

風は高度によって向きも早さも違うということは知らなかった。

空の層はいくつにもわかれていて、それぞれの層を流れる風がすべて一つの方向に向かって同じスピ-ドで吹くわけではないのです

ここからは気球のことになります


気球

気球と風

気球なは風まかせで、どこへ飛んでいくかわからないように感じますね。

それぞれの層にある風の向きやスピードを読んで飛んでいるのです。

なので、スタート地点から飛んで、層を変え逆方向にUターンして戻ってくることができるし、目的地へピンポイントで降り立つことができるようになります。

しかし、風は見えないしどのようにして読むのでしょう。

気球を飛ばす前に風船を飛ばし、見えなくなるまでチェックをして各層の風の方向とスピードを把握することができる。

煙突の煙もヒントになるようです。

しかし、なんといっても経験を積み、自分の勘を磨き、気球の微妙な動きを感じとり、風の層の変化を意識して、どの方向に流されているのか、だんだんと風を読めるようにしていくのです。

気球に乗る(操縦)には日本気球連盟の「熱気球操縦士技能証」というライセンスが必要になります。

トレーニング飛行としてインストラクターと20時間以上の同乗訓練や学科試験、飛行試験などに合格しなければならない。

また、風を読む知識や地図や無線機も使いこなせないといけないのです。

風を読むことに熟知してくると今まで水平方向だけに広がっていた世界が、垂直方向にもひらけて行動範囲が格段に広がります。


熱気球

 

熱気球太平洋横断

熱気球に乗り太平洋横断を試みた、冒険家の神田道夫氏と同行した石川直樹氏が通常の気球の8倍もある気球で挑戦した。

石川直樹氏は初めての挑戦でありライセンスを取得し酸素不足の空気になれるため鹿児島の鹿屋体育大学へ行き、低酸素室で高所になれる準備もした。

その” おばけ気球 ” は人間35人を載せる浮力があり、世界最大クラスの気球です。

太平洋横断の計画は、高度1万メートル付近の偏西風(ジェット気流)に乗って時速150キロ~200キロメートルで東に向かい60時間で北米大陸の ”どこか ”へ到着することです。

人間の生身の身体はどの高さまで耐えられるのでしょうか。

よくいわれる、高所は酸素不足のための沸点がさがりますね。

普通は100度で水が沸騰するのに、富士山では80度ヒマラヤなどの高所では50度~60度ほどで沸騰します。

高度19,000メートルでは人間の体温である37度が沸点なので血液が沸騰して一瞬にしてミイラになってしまう

総合して考えると10,000メートル前後の高度がやっとという感じです。


高度10,000m

今回の太平洋横断計画では強いジェット気流に乗るため、なるべく高く飛ぶようにするのです。

7,000mより8、000m、8、000mよりは9、000mのほうが気流が安定しスピードが出るということです。

いよいよ出発をして高度4,000mに到達するころに頭がボーとして頭上から凍えるような冷気を感じます。

そして酸素マスクを装着してお湯とチョコレートを口にして、身体に「自分は生きている」と信号を送った。

窓の外が白くにじんだような世界で厚い雲の中に入ったようだ、雲の湿気による気球の上昇スピードは急激にダウンした

この現状を早く脱出しなければならず、バーナーを炊き続けかなりの燃料を消費してしまった。

やっと、雲の上に出ると、そこは無音の世界が広がり音という音が消えてしまうのです。

いったい、どんな世界なのでしょうか、想像もつかないですね。

そして、透き通った青一色の世界が、遠近感のない青がどこまでも続いているだけです。

透き通った青だけの世界とはいったいどんな世界なのでしょう。

写真を掲載することはできないので、残念ですが想像をしてみてください。

先ほどの厚い雲との格闘劇で残りの燃料がどう計算しても十分でないことが判明した。

このまま、飛び続けるか海へ向かって下降し海面から500メートルくらいの上空を燃料がなくなるまで漂うのか。

二人は後者を選び高度を下げたものの今度は横殴りの吹雪と遭遇し、そのまま海上へとのみこまれた。

それからは地獄の攻めにあい、ゴンドラの中は大地震が襲ったようになった

もうだめかもしれないな・・・」と思った。走馬灯のように応援してくれた人の顔が浮かんでは消え、消えては浮かびしたそうです。

壮絶な海との戦いも時間の経過すらわからず、かなりの時間経過後に運よく近くを通りかかった貨物船に救助された。

3度目の挑戦が・・

石田道夫氏はこのあと3度目の太平洋単独横断を2008年1月31日に熱気球「スターライト号」に乗り込み出発をしたが、2月1日を最後に連絡が取れなくなった。


太平洋横断リベンジ

 

2004年の太平洋横断挑戦に同行した石川直樹氏が神田道夫氏を題材にルポルタージュ『最後の冒険家 太平洋に消えた神田道夫』を執筆、開高健ノンフィクション賞を受賞している

今回は、僕は冒険家として認識している、石川直樹氏の書籍からかなり抜粋しました。

気球に乗ったことはありませんが、何かワクワクとするような気がします。

一度は乗ってみたいですね。

初めて熱気球による無人の飛行が成功した1783年6月5日にちなみ、6月5日を「熱気球記念日」が制定されている。

参考:Wikipedia、いま生きているという冒険(石川直樹著)

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