カエルに注意の道路標識があるんだけど
「カエルに注意」の道路標識の裏には
危険をかえりみず道路を横断するヒキガエルがいる。
そのヒキガエルをひかないようにと運転手に呼びかけをしている道路標識です。
めったに見ないので「なんだこれは」と標識を眺めながら思ってしまう。
どうして、ヒキガエルは危険を冒してまで道を横切ろうとするのだろう。
カエルのイメージは、水辺に住んで昆虫などを食べて生活をしていると思っていたのに。
ヒキガエルはふだんは、森の中や草原などの陸地に棲んでいる。
ただ、オタマジャクシの時は池などの水の中でなければ生きてゆけない。
そのため、ヒキガエルは産卵のために遠く離れた池を目指して移動をする。
ヒキガエルにとって森と池の二つの自然環境がなければ生きてはゆけないということになる。
池で生まれたヒキガエルは、オタマジャクシから子ガエルになると一斉に池から森の中へ大移動する。
そして、森の中で成長し大人になり、サケやマスが自分の生まれた川を目指すように、ヒキガエルも自分の生まれた池を目指すのです。
サケやマスの遡上(サケなどが流れをのぼっていくこと)は、一生に一度の旅になるのですがヒキガエルは毎年のように森とふるさとの池を往復する。
ヒキガエルの寿命はハッキリとわからないが10年以上ではないかといわれている。
ヒキガエルは、春の早い時期に冬眠から目覚め、水辺にむかって歩き出す。
大移動は夜です。湿度が高く暖かい夜が、ヒキガエルにの産卵に適応しているようです。
不思議なことに満月の夜になるとヒキガエルの産卵はピークになるといわれています。
古代中国で、満月にはヒキガエルが棲んでいると信じられていたほどです。
ヒキガエルはカエルの仲間だが、昔は「蝦蟇・ガマ」と呼んで「蛙」と区別していた。
「蝦蟇の薬売り」の口上で有名ですね。
切り傷をガマの油を塗って治すあの油は馬油(うまの油)のようでした。
ヒキガエルは動作は鈍く、四肢も比較的短く他のカエルのようにピョンピョンと跳ねることはしない。
大きくなったその体を四つ足を動かして、のそのそと地面の上を歩いて移動する。
月明かりの下で地面をはうようにのそのそと歩き回る蝦蟇の姿は不気味に見えるが神秘的でもある。
昔の人たちはそんなヒキガエルを見て地の果てまで地面を這っていくのだと考えていた。
その姿に感動し万葉集にも詠まれるようになった
この照らす 日月の下は天雲の 向伏す極み谷ぐくの さ渡る極み きこしをす 国のまほらぞ
(山上憶良)ヤマノウエノオクラ
谷ぐく=ヒキガエル
歌の意味
「太陽と月が照らす下には、天の雲がたなびく果てまでも、ヒキガエルが這い回る果てまでも大君が納めている素晴しい国である」
ヒキガエルは実際に数十キロの距離を歩くともいわれている。
地の果てまで歩くという昔の人の話もまんざらではない気がします。
ましてや昔と今とでは雲泥の差がある道路事情です。
いかに万葉の時代から受け継がれてきた儀式とはいえ、道路そのものがなくなったり、新しくできたり、もちろん、そこには車が通るわけですから過酷そのものですね。
毎年、毎年、春の初めにヒキガエルたちは、池を目指し、何代も、何十代、何千代もの長い間祖先から受け継がれてきた森と池の生活をしているのです。
参考:wikipedia、生き物の死にざま(稲垣栄洋著)