紫陽花の歴史変化
紫陽花の意外な歴史
鎌倉の明光寺(あじさい寺)を初め,南は九州から北の北海道まで、全国で「紫陽花祭り」が繰り広げられます。
日本で生まれ、日本人に愛されている紫陽花ですが実は、歴史を見ると不思議なことがわかりました。
日本で生まれた紫陽花は「ガクアジサイ」で、6月から7月に開花し白、青、紫や赤色の蕚(がく)が大きく発達した装飾花を持つ。
ガクアジサイは花序(枝上の花の配列状態)の周辺部を縁取り豊かに並び「額咲き」と呼ばれる。
ガクアジサイから変化した花序が球形ですべて装飾花となったアジサイは「手まり咲き」と呼ばれる。
日本の原種のガクアジサイは観賞用としてヨーロッパやアメリカなどで品種改良され「セイヨウアジサイ」と呼ばれる。
紫陽花は、日本のような酸性の土壌では「青色」になりアルカリ性の土壌のヨーロッパでは「赤色」になります。
人気がなかったアジサイ
奈良時代から記録はあるものの、人気はほとんどなかった。
色が変化することから、花言葉は「移り気・浮気」となったと言われています。
そんな、ネガティブな言葉で、お祝いの贈り物としては避けられていたようです。
特に、恋人や結婚祝いへの花としては避けた方が良いとする人もいます。
しかし、小さな花が集まって、一つの大きな花に見えることで家族の繁栄と仲の良さをあらわしている。
花言葉「一家団欒」「辛抱強い愛情」「家族の結びつき」
紫陽花の花の美しさやポジティブな花言葉が浸透してきて紫陽花が結婚式にも用いられるようになりました。
万葉集で登場した2首
- 言問はぬ木すら味狭藍弟(もろと)らが練の村戸(むらと)にあざむかえけり物言わぬ木でさえ、紫陽花のように移り変わりやすい。
諸弟らの巧みな言葉に、私は騙されてしまった。- 安治作為の紫陽花の八重咲く如やつ代にをいませわが背子見つつ思はむ(しのはむ)紫陽花のように群がって咲く花のように、いつまでも健やかにおいでください。
この花を見るたびにあなたを想います。
出典:はな物語
この和歌に出てくるアジサイは、「味狭藍」と「安治作為」です。
諸説がありアジサイの名称はわかりません。
紫陽花は、党の詩人が別の花を指して(一説ではライラック)付けた名前で平安時代の学者がこの漢字をあてたことから、誤って広まったと言われている。
厚い雲に覆われ、じめじめとした湿った空気が鬱な気持ちにさせる時、明るい鮮やかな色の大きな紫陽花を見ると誰しもホッとした心が浮かび上がるものです。
松尾芭蕉も俳句を書いています。
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紫陽花や帷子時の薄浅黄
帷子(かたびら)は、麻で作られた夏用の衣。
紫陽花と同じ浅黄の色だったのでしょうか。
紫陽花の名所や「あじさい寺」のようなお寺は全国にあります。
なぜそのように広がったかというと。
紫陽花の意外な歴史
日本で生まれ、日本人に愛されている紫陽花ですが実は、歴史を見ると不思議なことがわかりました。
人気のなかった紫陽花を観光資源として注目した。
紫陽花は死者に手向ける花として考えられ、お寺で植えられたこと。
時代が進み、紫陽花は株分けして増やすのが容易で見た目が美しいことからさらに、全国のお寺や地域で植えられるようになりました。
古くからある紫陽花ですが、不人気な時代を経て今では、多くの人に愛され、人々を惹きつける花となりました。