先入観にとらわれて僕の頭はあてにならない
先入観は魔物
僕たちが選択をしているのは、確率と評価を
もとにして「不確実性」とリスクのもとで、
行っている。
イスラエル出身の二人の天才的な認知心理学
者のダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェ
ルスキーは上記のように分析している。
これだけ多くの情報が出回っている現代では
まず、どれが正しい情報なのか、役立つ情報
を分析することもなかなかできません。
条件を満たす法則に従った計算があったとし
ても、それができるほどの賢さもない。
従来の経験やそこそこの考え方に頼り、すぐ
に単純に直感的に判断をしてしまいます。
とっても楽でやりやすいのですが、困ったこ
とにはその判断が的確な判断ではないケース
が多いのです。
カーネマン氏たちは、この思考を注目をし、
直感的で素早く簡単に答えに到達することを
「ヒューリスティクス」という名をつけて
実験を繰り返した。
「ヒューリスティクス」は日本語で言うと
「簡便法」「方略」「目の予算」「発見法」
「近道」など。
実験:「典型性・代表性」
問題です・ある人の職業が何か、
めがねをかけ、気が弱く小心で、歴史本が
大好きな人。
多くに人は、簡単と思いながら図書館員と
答える。
しかし、この世界には図書館員より商店主
の方がはるかに多い。
だから、この人は図書館員ではなく商店主
の確立が高い。
「典型性」をもとに判断すると、実際にそ
うではないものも、そうであるように見え
てくる。
実験:メディアの報道による
どうしてもメディが目立つ出来事や身近な
出来事を大々的に報道したりすると特別に
高く見積もる癖がある。
例えば、あるチャーター機が2機墜落すると
糖尿病で死ぬより航空事故で死ぬ確率の方が
高いと思ってしまう。
「実際は糖尿病で死ぬ確率の方がはるかに高い」
判断を間違えてしまう。
少数の法則
あることが数回起こっただけなのに、次は
こうなるだろうと推測してしまう。
例えば:地球の平均気温が年々上昇する傾向
にあることが報告されても、翌年がその年よ
り暑くなると考えることはできない。
気象のような複雑で変動のはげしいシステム
のなかでの、実際の動きを探るには、個々の
1年などでは無意味で、実際は膨大なデータが
必要となる。
コインを20回投げて、表と裏が出る回数は正
しく配分されていると考える。
なので、20回のうち15回も表が出たら、おか
しいと勘ぐってしまう。
しかし、たかが20回という少ない1連の数に
「大数の法則」のように50%という確率を
考えることが間違いです。
でも、自分たちは偶然の法則は「小さな数」
にもあてはまるだろうとかん考えてしまう。
コインで4回連続で表が出ると次は裏が出る
と思う。
3割バッターが3打数ノーヒットだと、次は
ヒットを打つ可能性が高いと思う。
この例は「小数の法則」による「ギャンブラ
ーの誤謬」とみなせられる。
平均値への回帰
統計学上の用語で、長い目で見れば平均値に
戻ること。
例えば、親と子供の身長のことに関して、完
全な相関関係ではない。
非常に背の高い、180㎝を超える両親の子供は
平均して非常に背が高い。
しかし、親ほど高くなくて、むしろ低いことが
多い。
これは統計上の真実で容易にうなずけるが、そ
こに容易に「回帰」できないことが多く異常値
を頭からはずことができない。
だから、背の高い親の子供は少なくても親の身
長ほどにはなるだろうと考える。
どうしても「平均値の回帰」の法則が正しく適
用できずに、全く持ってあてにならない直感に
頼ってしまうのです。
たんなる偶然でしかないことに多大な意味をつ
けるという癖がいつまでも抜けないからです。
プロ野球で「2年目のジンクス」という言葉が
あります。
1年目の成績が2年目になって落ち込んだ。
これは実力で「平均値にもどった」のかもしれ
ません。
参考:経済は勘定で動く(マッテオ・モッテルリーニ著)