日光二荒山神社と大木と年輪

先日、日光にいってきました。
おなじみの二荒山、輪王寺、東照宮です。コロナ禍であった緊急事態宣言が解除になり、友達5人でスペーシア・東武スカイツリーラインの個室席でいってきました。
途中、春日部を過ぎたあたりで地震を感知したとかで線路上で停車したのですが、安全を確かめすぐに発車しまし
た。
2年ぶりの遠出で、皆、つまみやお酒を調達してきて、大人の遠足が始まりました。
日光まで2時間弱の列車に揺られ、個室は周りに遠慮なく会話ができ、ゆったりとしたイス席がうれしかった。

日光駅から二荒山まではバスで移動しそこからはずっと徒歩です。
修学旅行の生徒さんたちが、たくさん来ていて緊急事態宣言が解除したことを改めて実感しました。
さて、本題の大木ですが、ここの木々は樹齢数百年と思われる樹木が生息しています。
二荒山は男体山の古名で、僕は二荒山神社のことだとおもってました。
二荒山神社
調べてみると
二荒山神社は、栃木県北西にそびえる日光連山の主峰・日光三山を神体山として祀る神社です。
日光三山とは:
- 男体山(なんたいさん:古名を「二荒山(ふたらさん)」)
- 女峰山(にょほうさん)
- 太郎山
からなり、二荒山神社ではそれぞれに神をあてて祀っています。
三山のほか日光連山を境内地とし広大な境内地の中には「華厳の滝」や「いろは坂」も含まれている。

大木と対峙して
大木を目の前にして眺めていると数百年もの歴史を生きてきて、どっしりと真っ直ぐに天に向かい伸びている姿は
とても不思議に感じます。
人間の身体には細胞が約60兆個もの細胞でつくられていると言われてます。
しかしその中の細胞は死んでいる細胞もあるのです。
例えば、髪の毛は孟母細胞という生きた細胞が細胞分裂して作られるが分裂した細胞は角質化して死んだ細胞にな
ってしまう。
爪も同じように死んだ細胞です。
人間の身体は、死んだ細胞と生きている細胞とでできているのです。
木は千年を生きることができる。といっても、多くの細胞は死んでいる
木には年輪がありますね木は生命活動をして、外側に向かって太っていく。
すると、生命活動が終わった木の内側の細胞は死んでしまう。
翌年には、その外側で生命活動が行われ、生命活動が終えた細胞は死んでいく。
これを繰り返し、繰り返しおこなわれ木の幹は年々太くなり年輪が刻まれていく。

どんな大木でも外側の薄っぺらい表面だけで生命活動が行われ、たとえ中心部分が腐っておおきな洞(うろ)がで
来てしまっても全く問題はないのです。
そんなふうに、考えながら大木を眺めていると、この大木は雨風や季節の厳しい寒さや暑さにさらされながら生き
ていると思うとすごいの一言です。
しかも、数百年もの間、何も言わず、年輪を刻み成長をしていきます。
ゆっくりと時間をかけて育ってきた木は年輪も細かくなるので、固く締って均等にそろって見た目も美しいといい
ます。
人の成長も年輪としてはありませんが毎年、歳が刻まれ経験として充実した時を過ごす事ができるようになります
ゆっくりあわてず大木の年輪の細かさを見習っていき、どっしりとした芯のある自分に成長をしたいと思います。
参考:生き物の死にざま(稲垣栄洋著)、日光二荒山神社