みかえり阿弥陀さま
禅林寺と永観律師
1000年前から山寺らしい雄大な紅葉が見どころの永観堂。
正式には禅林寺という浄土宗・西山禅林寺派の総本山です。
念仏信仰を広めた一人として有名な永観律師(ようかんりっし)は念仏信者らしい伝説がいまに至るまで伝えられている。
それは、
東大寺の大勧進(寺社・仏像の建立(こんりゅう)・修繕などのために寄付を募る)を果たしいよいよ京都の帰ろうとしたとき、いつも拝んでいた阿弥陀さまが、夢枕に立ち「われも京に連れていけ」と告げられた。
律師はこの阿弥陀尊像を背負って京に入る際にこのことを伝え聞いた東大寺の坊さんが取り戻そうと追いかけてきた。
律師は返そうとしたが、尊像が律師の背中にぴったりついて離れず、あきらめた東大寺の坊さんたちに許されて永観堂に安置することになった。
永保2年(1082)、永観50歳のころである。
2月15日払暁、永観は底冷えのするお堂で、ある時は正座し、ある時は阿弥陀像のまわりを念仏して行道(お経を読みながら歩くこと)していた。すると突然、須弥壇に安置してある阿弥陀像が壇を下りて永観を先導し行道をはじめられた。
永観は驚き、呆然と立ちつくしたという。この時、阿弥陀は左肩越しに振り返り、 「永観、おそし」と声をかけられた。永観はその尊く慈悲深いお姿を後世に伝えたいと阿弥陀に願われ、阿弥陀如来像は今にその尊容を伝えると言われている。
出典:京都東山 永観堂
これが「みかえり阿弥陀」といわれるゆえんです。
この阿弥陀さまを見た時はびっくりしました。
仏像は正面を向いているものとばかり思っていたし、今まで横を向いている仏像は見たことないですから。
例外中の例外ですね。
この伝説の意義は
一人ぽっちだ、とやるせない孤独にうちひしがれている者に、「お前をちゃんと見まもっているぞ」と決して一人ではないぞ仏がここにおるではないか。と勇気を与えてくれます。
阿弥陀さまは、いつでも、どこでもみ仏を信じ拝む者のそばに近づいてこられるともに歩み、ともに悩みを聞いてくれる自己を発見するのはそんな時です。
そのことを身をもって示してくれたのが、この素晴らしい伝説です。
永観律師の歴史
永観は生まれてすぐに養子に出されました
8歳の時に、開成寺で「不動明王呪」という秘法を伝授されましたが、一度聞いただけで暗記し、睡眠中にまで暗誦してまわりを驚かせてます。
これは、永観の知能指数・IQが160以上あったことを示しているそうです。
IQが160以上だと書物などを1度読んだだけで全て暗記できると言われてます
(全人口の0.05%くらいいるようです)
藤原頼道にも大切にされ期待通りの成績をおさめる逸材だったのです。
しかし、30歳の時に持病が悪化し静養を余儀なくされ8年の歳月をかけ完全回復し40歳で禅林寺にもどったのです。
それからは、苦しかった経験をばねにして歴史に残る阿弥陀講とも呼ばれる「往生講式」を完成させ、型を作り広く普及させた。
晩年は、寺内に病人用の浴室をもうけたり境内の梅の実を体の弱った人に与えたりしました。
病におかされ深い悲しみに襲われた人々に手をさしのべること、それだけを永観は考えていました。
そんな、永観の活動は京都の人たちから、熱烈に支持されます。
いつしか禅林寺は永観堂と呼ばれるようになりました。
人はみんな弱虫を背負っています。
それぞれに大変な事情を抱えている人がいることを忘れてはいけないですね。