68万回の「ありがとう」言った
「ありがとう」を言った
こいつは怪しいやつと思われていただろう
街の中でも、車の中でも、もちろん家の中でも風呂の湯船ににつかりながらも言ってました「ありがとう」。
声を出して言いますがそこはTPOで道路を歩いているときは小さい声だったり、一人で車を運転しているときなどは大きな声で「ありがとう」といいます。
これは、小林正観著の「ありがとうの神様」「そ・わ・かの法則」に書いてあったことを実践してみたのです。
「ありがとう」という言葉をただ単純に声に出していうのです。
年齢×10,000回 です。
僕はその時68歳でしたから、680,000回「ありがとう」を言いました。
2016年6月1日から始め、2018年4月22日までの22か月22日間でした。
ルールは日常、「不平不満、愚痴、文句、悪口、泣き言」を言ってはいけない。
もし、言った場合は今まで言った「ありがとう」のカウントした回数は0に戻ってしまいます。
そのときの対処は、言ってしまった10秒の間にその言葉を取り消せばいいのです。
これだけのルールです。
が、この「不平不満、愚痴、文句、悪口、泣き言」を結構言ってしまうのです。
「ありがとう」という言葉を日本語の語源辞典で調べてみると語源は「在り難し」から来ています。
存在しないこと、めったにないことではなく「あり得ないこと」「存在し得ないこと」をそう呼んだそうです。
神や仏が何か「あり得ないこと」「存在し得ないこと」を起こしてくれた時に使った言葉なんです。
「有り難い」「有り難し」「ありがとう」という言葉は神や仏をほめたたえる言葉として存在したのです。
人に対して使われるようになったのは室町時代以降のことだそうです。
「ありがとう」の語源は仏教の由来と言われ、お釈迦様の話された「盲亀浮木・もうきふぼく」のたとえに出てきます。
「盲亀浮木」のたとえ
そなたは人間に生まれたことをどれくらい喜んでいるのか
ある時、お釈迦様が阿難というお弟子に、 「そなたは人間に生まれたことをどのように 思っているか」
と尋ねられました。「大変喜んでおります」 と阿難尊者が答えると、 お釈迦様は次のよう な話をされています。
今日、盲亀浮木の譬えといわれているお話で す。
「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。
その盲亀が、百年に一度、海面に 顔を出すのだ。広い海には一本の丸太棒が浮いている。
丸太 棒の真ん中には小さな穴がある。その丸太棒は風のまにまに、西へ東へ、南へ 北へと漂っているのだ。
阿難よ。百年に一度、浮かび上がるこの亀 が、浮かび上がった拍子に、 丸太棒の穴にひ ょいと頭を入れることがあると思うか」聞かれた阿難は驚いて、
「お釈迦様、そんなことはとても考えられません」 と答えると、 「絶対にないと言い切れるか」 お釈迦様が念を押されると、 「何億年かける何億年、何兆年かける何兆年 の間には、 ひょっと頭を入れることがあるかも知れませんが、
無いと言ってもよいくらい難しい ことです」と阿難が答えると、「ところが阿難よ、私たちが人間に生まれる ことは、この亀が、丸太棒の穴に首を 入れる ことが有るよりも、難しいことなんだ。有難 いことなんだよ」 とお釈迦様 は教えられています。
「有難い」とは「有ることが難しい」という ことで、めったにないことを言いま す。
人間に生まれることは、それほど喜ばねば ならないことだと、お釈迦様は教えられているのです。
引用:岡本一志
このことが「ありがとう」の語源です。
ところが、喜んでいるどころか、なんで生まれてきたのだろう。
人間に生まれさえしなければ、こんなに苦しまなくてよかったのに、と恨んでいる人さえおります。
「人身(じんしん)受け難し、今已に受く」「生まれ難い人間に生まれてよかった」という 、「よくぞ人間に生まれたものぞ」と生命の大歓喜が起きるのです。
全世界の昆虫の数は百京とも言われてます人間は百億にも満たないです。
人間に生まれる確率は昆虫の一憶分の一です。
人間に生まれることが、どんなに困難でありまた、有難いことなのかがわかりますね。
小林正観さんは「宇宙の法則」として
「神様」は「その人が好きな言葉を」を認識し「その人がまた言いたくなる」ように働きかけているだけです。
と言ってます。
それならば、「うれしい、楽しい、幸せ、愛してる大好き、ありがとう、ついてる」という喜びの言葉
を口にしたほうがだんぜん ”得” になりますね。
「ありがとう」を言うだけで「神様」が味方になってくれます。
たくさん言って幸せになりましょう。
参考:「ありがとうの神様」「そ・わ・か・の法則」小林正観著
晴れめでぃぁ