源義経と半官贔屓
半官贔屓とは語源は
半官贔屓・僕が普段使う時は「はんがんびいき」と読むことが多いですね。
もう一つの読み方は「ほうがんびいき」と読み、どちらも間違いではないのですが、こちらの方が
メジャーのようです。
半官を「ほうがん」と読むのは、昔の官職名に由来しているようです。
ここで言う判官贔屓の半官は、平安時代末期の悲劇の武将、源義経を指し、役職が判官であったので、
「九郎半官」と呼ばれていた。
源義経は、平家追討のために多大なる功績を建て、人々から称賛されたが、兄の鎌倉幕府将軍の源頼朝
から憎まれた。
義経は藤原秀衡を頼って奥州平泉に逃亡したが、秀衡の死後、秀衡の子の泰衡に襲われ自ら命を絶った。
あえない最期を遂げた源義経に同情が集まり、贔屓したことから「半官贔屓」という言葉が生まれた。
強者に挑む弱者、勝者に対して敗者を応援(ひいき)することを判官贔屓という。
「半官贔屓」は日本人の特性か
- 大相撲観戦で
相撲の試合をTV観戦している時も、大きな相撲力士に対し小兵と呼ばれる小さな相撲力士が土俵にあらわれると特別なことがない限り、小さな力士を応援してしまいますね。
- 高校野球の甲子園で
「初出場で地元の選手たちだけで勝ち上がってきた公立高校」と「全国から優秀な選手をスカウトしている強豪の私立高校」が対戦するとしたら、あなたはどちらを応援しますか。
日本人は、前者の初出場チームをを応援しがちだそうです。
また、上記のような対比ではなく、甲子園では劣勢のチームほど観客の応援が大きくなります。
弱きを助け強きをくじく
歴史学者の上横手雅敬教授によると
日本人は半官贔屓という言葉の成立前から、伝統的に同様の感情を抱いてきたとし、国文学者で民族学者の池田弥三郎教授はそうした感情を
「弱い者いじめの反対、つまり、弱きを助け強きをくじくという言動に対しては、無批判にかっさいを送ろうとする心理」
と定義している。
英雄崇拝
源義経を題材にした文芸作品は、「氾濫」と呼ばれるほど数多く生み出されています。
「平家物語」や「源平盛衰記」、最初の義経一代記といわれる「義経記」の伝説的物語を成立させている。
義経を国民的な英雄としての偶像化へと転換させ、「義経記」は「半官もの」と呼ばれる御伽草紙、謡曲、狂言、舞曲、歌舞伎・浄瑠璃などの作品群の大本となった。
日本を代表する悲劇のヒーローですから、物語あり、伝記あり諸説ありで、義経像が作り出され、英雄崇拝としての半官贔屓が具体化したんですね。
義経の死については、直後からそのことを否定するような噂が流れ、義経は蝦夷地(北海道)に行き、さらに中国大陸へと逃れてチンギス・カンとなったとする伝説も生まれた。
「弱者」を応援する心は、日本人がしらないうちに持つ感情のひとつです。
「ひいき」をしていることは、ややもすると不平等になりがちです。そんな時は、一歩引いて冷静に見つめることが大事です。