しっかり目を開けて夢を見よう

人生をみんなで楽しむ良寛さん

良寛さんの修業「円通寺」

瀬戸内海の風光をのぞむ岡山県倉敷市の曹洞宗「円通寺」の修業は、それはそれはきびしかった。

岡山県倉敷市 円通寺

朝は
3時に、たたき起こされ、洗面所に飛んで行って顔を洗う
3時15分、あたりは真っ暗、座禅を組む
4時30分、本堂において経を読む(瀬戸内海が白々と明るく輝いてくる)
6時、僧坊において朝食(一汁と、一種のおかず、朝粥を一杯)
7時、また座禅
8時~ 9時、作務(掃除)
9時~11時、経文の講義
11時~12時、読経

12時、昼食(麦めし、みそ汁、漬け物)

午後は
1時~4時、禅宗古典の勉強
4時~5時、夕方の座禅
5時、夕方のを読む
夕食なし(お茶を飲む程度、昼の残りがあれば食す)
7時、最後の座禅
9時、就寝

ほとんど、1時間単位で、キッチリと何十人もの修行僧が無言で一糸乱れず行動する。

この円通寺で若き良寛さんは一心不乱の修業を積んだ。

誰もが知っている禅僧の良寛さんは、1758年、越後の名主の長男として生まれ十八歳の時に出家し故郷を後に円通寺で三十四歳まで修業した。

禅宗の師家としての位を授かっていたにもかかわらず寺には入らず、世の中に住むふつうの人と会うことを楽しみとする。

良寛さん

こんな詩があります

いざわれも 浮世の中に 混じりなむ 去年の古巣を けさ立ち出でて

「さあ、これからは、世の中の人と交際するんだ。
今までの古椅子の寺は、今日の朝、きっぱりと立ち出でるぞ」

引用:手ぶら人生(境野勝悟著)

遊ぶとは

良寛は、我慢するという状態は不幸の心の状態だと悟った。

禅語に「遊三界・ゆうさんかい」がある三界は世間のことで禅僧は修業が終わったら世間に出てなにものにもとらわれず自由に楽しく生きよ、と説く。

良寛さんは、遊ぶとは、つらい苦悩から脱出する悟りの行為なのだ。と説く。

良寛さんは、禅宗の厳しい修行によって大きな悟りを体得。

師の国仙和尚(1723~1791)から、印可(確かな悟りを承認される)の証明を授けられている

そのとき、なんと一等首座(修行僧中のトップ)の位までも受けているのです。

良寛さんは、特に1時~4時まで経が収めてある書庫に入り次から次へと、むさぼるように仏教の古典を勉強した。

エリートの修業を続けていれば円通寺の住職に収まり、たくさんの修行僧に囲まれ尊敬されて名誉ある僧侶となったことだろうに。

自他利行

良寛さんは、ある日「自他利行・じたりぎょう」の言葉に本当の禅的な生き方に目覚めた。

自利とは
自分だけが楽しむ。自分だけが成長する。

他利とは
他人だけが得をする。他人だけが楽しむ。
自分は損失を受け犠牲者となる。

自利も他利も決して禅的ではなく美徳ではない。

他人だけが喜んで、自分はがまんする。
この「他利」の行動は、禅そのものではないという。

  • 自分も楽しむと同時に他人も楽しむ
  • 他人も得をする、ともに、自分も得をする

これを「自他利行」といい、「禅的生き方」の根本であるという。

良寛さんは「大人の世界ではなく子供たちと遊んでいると、子供が楽しむとわしも楽しみ、わしが楽しむと子供も楽しむ。

といい、いつも子供と遊んでいた

一度に、両方楽しめるんだ。しかも、いつでも、どこでもだ」と数ある有名な良寛さんの話の一説でした

参考:円通寺、手ぶら人生(境野勝悟著)





関連記事

コンテンツ