人間力とはいったい何か
人間力とは何か
人間力という言葉は時々耳にし、目にしていますが定義ははっきりしていないようです。
人間力を辞書で調べたら
さまざまな面から見て魅力的だと感じられる、一人の人間としての能力を意味する語。
確固たる定義は全く無く、個々の人々の人々にとって魅力的と感じられる人間が持つのが人間力である。
参考:Weblio国語辞書
明確な定義はないものの、なんとなく理解しているような言葉のようですね。
「すごい能力や技術を持っていても、最後は人間力だね」なんてよく聞きます。
内閣府の諮問機関は人間力を
「社会を構成し運営するとともに、自立した一人の人間として力強く生きていくための総合的な力」
と定義しました。
う~ん と唸るような定義ですね何を力強く生きていけばよいかわからない。
結局は、個々人の人間力を感じるのはまちまちで違うことなのです。
自分なりにどこからこの人間力ということが刷り込まれてきているかを考えると、それは武士道ではないかと思ったのです。
歴史上の人物で、西郷隆盛などがパッと浮かんできます。
武士道の礎は
- 義・・人の道なり
「義」は武士の掟の中でもっとも厳格な徳目とされている。
武士にとって卑劣な行動、不正なふるまい程忌まわしいものはない。
義は勇と双子のような関係で、明確な正しい勇気と敢然と耐えうる精神力を持っている。
- 勇・・義を見てせざるは勇なきなり
勇気は、義のために行われるものでなければ徳の中に数えられる価値はないとされた。
忍耐と勇気は生まれた時から繰り返し聞かされ励まされていた。
- 仁・・慈悲のこころ
「仁」が王者の徳といわれる
人間の魂が持つあらゆる性質の中で、もっとも気高きものとして認められてきた。
愛、寛容、情愛、哀れみの心など「仁」は常に至高の徳としていた。
孔子も孟子もこの仁を説き「ゆえに仁は人なり」と仁がなければ人ではないと定義した。
- 武士の情け・・力ある者の慈悲
「もっとも勇気ある者はもっとも心優しい者であり、愛ある者は勇敢である」という普遍的
な心理とされていた。
なので「武士の情け」という言葉には私たちの心情に訴える美しい響きがある。
- 礼・・仁・義を型として表す礼の最高の形態は「愛」です
「礼は寛容にして慈悲深く、人を憎まず、自慢せず、高ぶらず、相手を不愉快にさせないばかりか、自己の利益を求めず、憤らず、恨みを抱かない」ものだといえる。
- 誠・・武士に二言はない
武士の約束に証文はいらない
武士は支配者階級にあるだけに、サムライの言葉はその言葉が真実であることを保証した
本物の武士は「誠」を命より重く見ていた。
- 名誉・・命以上に大切な価値
恥の感覚こそ純粋な徳の土壌
名誉は武士階級の義務や特権を重んずるように、幼児の頃から教え込まれ武士の特質をなすもののひとつです。
徳川家康は
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。
急ぐべからず。
堪忍は無事長久の基・・・・。
己を責めて人を責むるべからず」
と教訓を残している。
武士の教育
武士の教育で一番重要視されたのが「品格」の形成だった。
知識や思慮、雄弁などの知的才能はそれほど重要視されなかった。
現代は全くの逆ですね、知識が優先されて真の教育は軽んじているような気がします。
日本人の道徳律の「八つの徳」
- 仁:思いやり
- 義:正義の心
- 礼:礼儀・礼節
- 智:叡智・工夫
- 信:信用・信頼
- 忠:いつわりのない心
- 孝:父母を大事にすること
- 悌:年長者に従順なこと
これらのことを「良心」といい、このモラルを犯すと良心の呵責に襲われる。
武士道が「義」を支柱にするのは、「人としての正しい道」であるから「義」がもっとも難しく、重要だからです。
「義」はサムライだけではなく、いかなる人間でも、どのような社会でも、人の世の基本となる大切なことから。
西郷隆盛は言ってます
「西郷にとり「正義」ほど天下に大事なものはありません。
自分の命はもちろん、国家さえも「正義」より大事ではありませんでした。
自分の命よりも、国家よりも「正義を貫くこと」がすべてであり、国家間の交際ですら、そのもとは正義であるという。
本物のサムライと言われた西郷隆盛は人間力のある人だと僕は思います。
参考:武士道(新渡戸稲造著・岬龍一郎訳)