この世の母の純粋の愛は「母の愛情」

「慈悲」という言葉
誰しもみんな戦争のない平和で苦悩のない幸せな世の中になることを願っています。
こういう純粋な願いが人間には基本的にあると信じています。
その願いを仏教では「慈悲」の教えとして説いています。
争いごとのない世界、殺生など対立のない人間化関係を築くことは、他人に対する温かい思いやりを持って感謝する心を意識する必要があるということです。
その温かい思いやりは、我執を離れたところから起こる心情であるといい。
その我執を離れたところから出てくる温かい思いやりのあらわれが、慈悲のはたらきという。

仏教の経典から
その仏教の経典には、こんなことが述べられています
あたかも、母が己が独り子を命をかけても護るように、そのように、一切の生きとし生ける者ものどもに対しても、無量の(慈しみ)こころを起こすべし。
引用:「スッタニバータ」
また全世界に対して無量の慈しみの意(こころ)を起こすべし、上に、下に、また横に、障害なく怨みなき(慈しみを行うべし)
このように、我執を離れたところから出てくる美徳を慈悲という言葉でとらえているようです。
そして、お母さんが子供に対して命を賭けても護り抜く愛情は、悲しみ(あわれみ)の心は苦しみを除いてくれる「抜苦」の心で母親の愛にたとえられています。
お母さんの子供に対する愛情は絶対的な純粋な愛で、決してよこしまな「可愛さあまって憎さ百倍」などのことわざのどんな激しい恋愛でも、相手に裏切られるとすぐに激しい憎しみに変わってしまう世俗の愛とは違います。
母親の真の愛と・・
そんな母親の愛情にまつわる名文があります。
「日本一短い手紙」より魔法のような文章です。
修学旅行を見送る私に「ごめんな」とうつむいた母さん。
引用:文芸春秋「日本一短い手紙」
あの時、僕平気だったんだよ。
小学校に3年半しか通えなかった人もいる。歌手の「バタヤン」こと田畑夫さんは3歳で父を亡くし、人形づくりの内職をしていた母は10人の子供をかかえて苦労していた。
田畑義雄「バタヤンの人生行路」
遠足には一度も行っていない。それどころか一家で何度も何度も夜逃げした。
このころ、紅ショウガの「ごちそう」をよく食べた。白米を食べる余裕などまったくなく、主食はいつもオカラ。
オカラは当時2銭で、おかずは紅ショウガ。そんな紅ショウガさえ口に入らなかった。

その母親が亡くなった、バタヤンは人気歌手になっていた。
田畑義雄「バタヤンの人生行路」
葬式の日、わたしは紅ショウガをいっぱい買ってきた。おっ母さんと貧乏をして、夜逃げばかりしていた大阪時代、毎日毎日の食卓を飾った紅ショウガだった。
その紅ショウガを1個1個花びらのようにていねいに薄く切りそろえた。何枚も何枚も、紅しょうがの花びらを作ってはおっ母さんのひつぎにまいた。
どんなにきれいな花よりも、どんなに高価な花よりも、1枚1枚切り刻んだ紅ショウガの花こそが、何事にも代えがたい、わたしのしてあげられる最後の親孝行でした。
母親が子どもに対する愛情とは、そこはかとなく強く、寸分の揺るぎのない純粋な愛情なんですね。

母性を詠んでは当代随一の歌人河野裕子さんは
しっかりと飯を食はせて陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合せ
と詠んでいる。
まさに
しっかり飯を食わせることで親として最高の幸せであることを思うと、食べざかりで育ちざかりの胃袋にオカラと紅ショウガで満たさねばならなかった母の胸中は察するに余りあります。
世の中で母と子ほど、愛しい、哀しい・・・とどの漢字も通じ合い、たくさんの間柄になることはないでしょう。