「大好きな母さんも長いのよ」日本の童謡ぞうさん
世の中の男性諸氏は、大なり小なり皆、マザーコンプレックスだと思う。
かくいう自分もマザコンなんです。
この話を友人などと話題になると「いやいや、実は私も、僕もマザコンなんですよ」と明かす人が多いです。
恥ずかしくて言わない人もいますけどほとんどの男性が該当すると思います。
よく聞いた話だと戦争で兵役につき特攻隊として国に命をささげた勇者は、その突撃の時は「お母さん」といって散っていったと聞きます。
詩人のまど・みちおは85歳の時に日本で初めて、児童文学のノーベル賞と言われる国際アンデルセン賞を受賞した。
25歳の時に雑誌に投稿した童謡の詩が北原白秋の目に留まり特選に選ばれた。
そこから、本格的に詩や童謡の詩の創作に取り組み始めた。
その、まど・みちおは七つになった上の子から誕生祝に汽車のおもちゃをねだられたが、当時は工場の守衛をして日給暮らしで、とてもそんなおもちゃには手がまわらない。
そこで、こどもの手をひいて動物園に足を運んだ。
しかし動物園の中の猛獣たちは戦時中に殺されて、獣舎も空襲で焼けたままだった。
まど・みちおは、誰もいない像の獣舎の前で一緒に来た子どもに、「ここにとっても大きなぞうさんがいたんだよ」と話をした。
そのとき、その子どもがぞうさんに語りかけて、ぞうさんが応える詩が浮かんだ。
ぞうさん
ぞうさん
おはながながいのね
そうよ
かあさんも ながいのよ
まど・みちおは5歳の時に父親の仕事の都合でひとり祖父母に預けられた。
その時のさみしさや孤独感が詩となり、童謡の詩の原点となったと話している。
そののち10歳で家族のもとにいき、母親の胸に飛び込むことができた。
その母は、道雄(本名)のことをかばい、可愛がった。
道雄は。こんな風にその時のことを思い出して
「男の子はたいがい、お母さんのほうを懐かしく思い出すのでしょうね。
わたしもこうして母から愛されたことが、何かにつけて一生涯つきまとっております」
昭和26年(1951年)石田道雄(本名)が42歳のとき、まど・みちおとして「ぞうさん」の詩を書いた。
翌年、NHKラジオから團伊玖磨作曲の「ぞうさん」が「うたのおばさん」で放送され、童謡の力が全国隅々までいきわたった。
その歌詞は自らのもつ差異を肯定し、誇りとするものとされている。
そして自らの書籍にこんなことを書いている
子ゾウが悪口を言われた時の歌である、と。他の動物から見たら、鼻が長い君はおかしい。
引用:『まど・みちお――「ぞうさん」の詩人』(河出書房新社)
しかし、子どものゾウは、しょげたり怒り返したりせず、「大好きなお母さんも長いのよ」と
朗らかに切り返し、それを誇りにしている歌だという。
作品は作者を離れ、作品だけで残る。そういうものが書ければ書きたいものだ、という希望を述べたのは志賀直哉です。まど・みちおの「ぞうさん」はまさに作品だけで残った。
ぞうさん
ぞうさん
だれがすきなの
あのね
かあさんが すきなのよ
まど・みちおは、独自の感性で「生きること」「存在すること」の不思議と尊さを詩にしていく。
100歳を過ぎても詩作を続けた。やさしく深い言葉に込められた、まっすぐな思いが語られる。