才能より他人に優しくすることの大事さ
誰もが持っている、ほめられたいとか尊敬されたいとか、人からどのように見られているのかを気にすることは自然のことなので、間違ってはいないです。
自分は、他人より頭がいいことや優れた能力を持っているいることに、うぬぼれてしまったり、見せびらかしてしまう傾向にあります。
もちろん、他人より優れているとはっきり感じたときや、周りから自分のよさを認めてもらったときは、嬉しくなり、気分が良くなります。
「見せびらかす」
しかし、「見せびらかしたい」という願望は時に人を傷つけることにもなります。
これは、比較する対象は同じ人間であるため、相手の人を傷つけることにつながるからです。
相手が自分より劣っていると感じさせ傷つけることは、自分も傷つくことになります。
ここで大事なことは、相手の自尊心を傷つけずに、逆に気持ちよくさせて初めて、本当の喜びが生まれ心から自己信頼感が生まれてくるものです。
私たちの環境は、いろんな人間関係の中で暮らしています。
会社、近所、家族、学校、友人などの集まりの中で生活をしているので何かと気も遣いますね。
その環境の中で、周りからの目や話し言葉がとても気になってしまうものです。
他人の「評価」
それだけに、他人の評価に一喜一憂してしまう人が出て来ます。
しかし、他人の評価というものは、すべて正しいとは限らないのです。
評価する人は自分の都合によって高くしたり低くしたりしてしまうものでコロコロと変えてしまうものです。
このことをよく理解することで、必要以上に他人に振り回さられることなく過ごすことができます。
自分にとって都合の良い人は好きな人、自分に自分にとって都合の悪い人は嫌いな人となります。
自分もそんなことがあると思います、他人に対して自分がどう評価をしているかを見つめてみるとよくわかります。
自分都合の評価
自動車教習所であまり細かなことは言わず、試験の時も採点を甘くしてくれる先生は、親切で優しい人だと思ってしまいます。
逆に、細かな事でも注意し、採点も厳しくする先生は不親切で冷たい人だと思ってしまいます、
どちらが、自分のためになるのかといえば、少々の失敗をしても合格点を与えてくれる先生よりも、一生懸命に技術を覚えないと合格点をくれない先生の方が将来に渡ってためになる教師と言えます。
どうしても自分は楽がしたく、つい、ぬるま湯につかるように甘い先生を「いい先生」だと思ってしまうのです。
結局は自動車の教習者は、教える先生として「いい」か「悪い」かではなく自分の都合によって判断を下しているのです。
自分の都合ですから、同じ判断を下した人でも自分都合で評価がコロコロと変わることがあります。
こうるさい、頑固な隣の爺さんが、自分のことを褒めてくれると、今まで「嫌いな人」だったのに「隣のお爺さんはいい人だったんだね」ということになります。
こんなことは、誰にでも大なり小なり経験があるのではないかと思います。
AmazonのCEOは
AMAZONのCEOジェフ・ベゾスは、子供のころ、毎年夏になるとテキサスの祖父母の牧場で過ごしました。
風車を修理したり、牛に予防注射をしたり、雑用を手伝ったりしていました。
10歳の夏に祖父の運転でドライブに連れて行ってくれました。
祖母は助手席に座り、ずっとタバコを吸っていました。
そのときも、祖母が1日にタバコを吸う回数を見積もり、祖母が喫煙して来た日数をかけて、祖母の肩をたたき得意げに言いました。「1回で2分だから、これまでに9年間も寿命を縮めているよ」
頭のよさを褒めてもらえると思っていましたが、私にとって思いがけない展開になったのです。
祖母が泣き出してしまったのです。祖父は車を停めて、後部座席のドアを開け私が出てくるのを待っていました。
そして、優しくこう言ったのです
「ジェフ、賢いよりも優しいほうが難しいんだ。いつかお前にもわかるようになるだろう」
引用:ハーバードの人生を変える授業2(タル・ベン・シャハー著)
それから35年後の2010年、ジェフはプリンストン大学の卒業生に向けて講演を行いました。
彼はこの話を卒業生に伝えたあと、こう言いました。
「今日お話ししたかったことは才能と選択の違いです。頭のよさは才能で、優しくすることは選択です。
才能は与えられているものなので使うことは簡単です。選択の方が難しいのです」
引用:ハーバードの人生を変える授業2(タル・ベン・シャハー著)
誰かを傷つけてでも自分の賢さを主張しますか? それとも人に優しくなりますか?
与えられた才能を見せつける前に、まず優しさという名の贈り物を人に与えましょう
参考:ハーバードの人生を変える授業2(タル・ベン・シャハー著)、
幸せの種を巻くと幸せの花が咲く(岡本一志著)