我慢のホントの意味はうぬぼれること
我慢の意味
「もう我慢できない」「我慢しなさい」「よく我慢したね」など今日での我慢の意味は耐えること、忍耐することを指しています。
我慢は、仏教から出た言葉で、「慢」は”うぬぼれ”の意味です。
自分を色眼鏡で見てしまい、自分をよく見てしまうこと。
その”うぬぼれ”には細かく分けると7つあるのです。
それを七慢といい、お釈迦様はお話しされています。
七慢(欲目のうぬぼれ心)
- 慢(まん):他人を目下に見る。うぬぼれ
- 過慢(かまん):同じ程度の相手でも自分の方が上だと思う心
- 慢過慢(まんかまん):自分より優れている相手でも自分の方が優れていると思う心
- 我慢(がまん):自分の考えを押し通そうとする心
- 増上慢(ぞうじょうまん):悟りを開いていないのに悟りを開いたとうぬぼれの心
- 卑下慢(ひげまん):深々と頭を下げ、どうだこんなに頭の低いものはいないだろうとうぬぼれる心。
- 邪慢(じゃまん):とんでもないことを自慢する心
我慢は、この七慢の中に含まれています。
慢
慢は、人を見下すことですが、何も言わなくても、相手に通じてしまいます。
そうです「目は口ほどにものを言い」とことわざにあるように、目の色で動きで相手にわかってしまいます。
くれぐれも気をつけなければいけません
しかし、どんなに冷静で知識豊富な人でも絶対になくならない心だと教えられています。
過慢
相手のテストの点が自分と同じでも「寝不足だったからだ、調子よければ俺の方が上だ」とうぬぼれる心。
慢過慢
例えば、テストの点数が相手は90点で、自分は80点の時でも「あいつは塾に行っているからできるので、俺が塾に行ったらもっとできる」「あいつは勉強はできても友達がいない、俺は友達もいっぱいいる」
などと勝手解釈して、相手より上に立とうとする心。
我慢
自分の間違いに気づきながらも、自分の意見をどこまでも押し通していく心。
素直になれない心。
今日の使い方とずいぶん違いますね。
増上慢
自分は悟ったのだ、救われたのだと錯覚して相手を見下す心。
卑下慢
「まだまだ全然未熟者です」と必要以上にへりくだること。
見てて、いやらしく感じますね。
邪慢
泥棒が成功例を偉そうに話したりテストで0点の答案用紙をひろげ「俺はほんとはこんなもんじゃないんだ」と開き直り鼻高くしている心。
この七つの慢・うぬぼれは煩悩のひとつです
2600年前に説かれたお釈迦様のこころです
人間の心は少しも変わらないものなのですね