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大きいだけではない鎌倉の大仏の歴史

鎌倉の大仏様とご対面

小学校の遠足で鎌倉の大仏様に初めてお会いしました。
とにかくでっかくて、荘厳で美しいその姿に心身ともに感動し圧倒されたのを覚えています。

それから何度となく鎌倉へ行っては、大仏様をながめにいってます。

先日も行ってきました。

いつも変わらぬ、ことのほか気高く凛とした露座の大仏さまなのです

奈良の大仏様は、盧舎那仏(ルシャナブツ)で、鎌倉の大仏様は阿弥陀如来です。

奈良の大仏様は

奈良の大仏様

奈良の大仏様は、天平17年(745年)に聖武天皇の発願で制作が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会、魂入れの儀式が行われた。
正式には「盧舎那仏座像」で、彫刻部門の国宝に指定されている。

奈良の大仏は国家の力で造られ、延べ260万人が工事に関わり、銅の成分も実にすばらしいといわれてます。

関西大学の宮本教授の試算によると現在の価格にすると工費は、約4657億円と算出された。

鎌倉の大仏

鎌倉の大仏は貧者の一灯がともされた

源頼朝の侍女である稲多野局(いなだのつぼね)が発願し、浄光(じょうこう)というお坊さんが一般の民衆から浄財を募り、歩き回って木造の仏を完成した。

しかし、台風で倒壊し、再度、浄財を募り、一軒一軒歩き回り資金を集め、青銅の仏像を鋳造して完成した。

鎌倉の大仏

それが、建長4年(1252年)という。

760年以上の風雪に耐えながら、地震で傾いても、台風に破壊されても、やがて露座のまま田園の真ん中で生き続けてこられたのです。

多くの貧しい人々の願いの、「み仏よ、永遠にわれらを救いたまえ」という祈りと「教えがとこしえに続きますように」という悲願が秘められています。


人が釈迦牟尼と詠もうと、盧舎那仏と歌おうと一向に超然としている阿弥陀大仏は、はじめから露座であったかのように、美しい鎌倉の一隅になければならない気高い大仏です

白隠和尚、良寛さん

白隠和尚はこのように記しています

君看(み)よ双眼の色 語らざれば愁なきに似たり
(あの人の眼をご覧なさい。何も語らなかったら何の愁もないように見えるでしょう)

良寛さんもこの句を好んで使ったようですが、「愁を憂い」としています。

誰であろうと人生の苦しみや悲しみに向き合って生きていかなくてなりません。
普段は明るく振る舞っている人でも、心の中にどんなにか大きな悲しみを抱えているのかもしれない。

そんな人の心を察することのできるような人になるように努力しなさい

とのメッセージでしょう。

相田みつをの詩

相田みつを 詩の中にも紹介されています

相田みつを・にんげんだもの

憂い              

むかしの人の詩にありました

君看よ双眼のいろ
語らざれば憂い無きに似たり

憂いがないのではありません
悲しみがないのでもありません
語らないだけなんです

語れないほどふかい憂いだからです
語れないほど重い悲しみだからです

人にいくら説明したって
全くわかってもらえないから
語ることをやめて
じっと こらえているんです

文字にもことばにも
到底表わせない
ふかい憂いを
おもいかなしみを
こころの底ふかく
ずっしりしずめて

じっと黙っているから
まなこが澄んでくるのです

澄んだ眼の底にある
ふかい憂いのわかる人間になろう
重いかなしみの見える眼を持とう

君看よ双眼のいろ
語らざれば憂い無きに似たり
語らざれば憂い
無きに似たり

引用:にんげんだもの(相田みつを著)

 

参考:仏像入門(石上善應著)、Wikipedia鎌倉大仏高徳院

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