北極から南極へ「POLE TO POLE」という地球縦断の旅
北極と南極は地球の端にある似たような氷の大地と思っていましたが、大きな違いがあるようです。
南極点は大陸のほぼ中央に位置していますが、北極点の周辺は海ですから、巨大な氷の上を歩くことになり、その巨大な氷も常に動いているために、たとえ北極点に立ったと思っても次の瞬間には現在地が移動してしまいます。
しかも、それらの氷と氷はぶつかり合い ”乱氷帯” とよばれる山を形成し、そのすき間にはクレパス(裂け目)が行く手を阻みます。
氷がスケート場のように平らに広がっているならばいいのですが、とにかく海水の動きによって発生した起伏の激しい氷の障害物が延々とあり、それに向かって進まなければならずプロの冒険家でなければできないといわれてます。
とても分かりやすい南極と北極の違いは、シロクマがいるかどうかです。
南極にはペンギンがいますが、シロクマはいません。
北極にはシロクマが住んでいるので常に注意しをしなければならないのです。
このことは、実際に踏破した人からの情報なので間違いありません
このかたは、以前も紹介したことのある「石川直樹」さんで、このことも以前書きましたが、写真家となってますが僕は間違いなく大冒険家と思っています。
「POLE TO POLE」
その石川直樹さんが「POLE TO POLE」という地球縦断の旅に参加したのです。
「POLE TO POLE」というのは、”North Pole” から ”South Pole” まで、つまり北極点から南極点までを1年かけて旅する、国際プロジェクトのことです。
メンバーは世界7カ国から選ばれた同世代の若者たち8人です。
参加者を決める選考会が日本でもあり、石川直樹さんが選ばれたのでした。
他の国は、アメリカ、カナダ、アルゼンチン、南アフリカ、フランス、韓国などから、19歳~26歳の男女が集まり、地球縦断をこころみるのです。
いきなり、集合して決行するのではなく、その前に、全員が集まりカナダで1か月間のトレーニングをします。
特に重要だったのは、北極では1カ月以上ものあいだ、食料やテントなどの装備を持ってスキーで歩き続けなければならず、そのためにクロスカントリースキーを使って氷上を歩く(滑る)練習でした。
クロスカントリスキー
アルペンのスキー板よりも細く軽くできていて、かかとが固定されていない雪上を歩くためのスキー。
膝まで埋もれてしまう雪の上も、これならば自在に歩く事ができる。
ただ、エッジがないために固い雪面を滑り降りるのには適していません。
この1カ月のトレーニングは、サバイバル技術からヨガまで長旅で役立ちそうなあらゆることを教わります。
また、肉体的なことばかりではなく、仲間同士のコミュニケーションを大事にし、相互理解を深めてくれる柱となり、数カ月おきに行われます。
極地での生活は、普段日常の生活とは大きくかけ離れていて、水道もなければ、トイレもシャワーも便利なお店もなく歯を磨くにもお皿を洗うにもすべて雪を溶かして水を作り環境に対応していかなければなりません。
極地での適応
自分自身をなんとかしてその環境に適応させていくことが必要です。
寒さから身を守り、1日中行動を続けるために1日に食事は5回摂ります。
洋服はジャケットの下に3枚着こみ、遠征中は下着を含め着たきりになります。
またテントの中での小便は専用の水筒(ピーボトル)へし、大便はスコップを担いで素早く穴を掘り氷の陰でします。
怖ろしいシロクマは、人間のにおいに敏感なので注意が必要です。もしシロクマが近寄ってきたら護身用のライフルで空をうち、爆音でシロクマが逃げてもらうようにするのです。
氷の上を1カ月歩き続けると「レゾリュート」という村にたどり着きました。
ここからは自転車に乗りかえて凍った道路を進んでいきます。
カナダを西から東へ、そして、アメリカを東から西へと横断します。
今回のPOLE TO POLEのメンバーは男が5人、女が3人の若者の男女混合で旅の間はプライベートな時間はないものの、仲間同士の絆はさらに深まり、意見のぶつかり合いも起これば、恋愛も発生しました。
北米大陸を抜けてメキシコに近づくと気温は摂氏40度ほどで、北極でのマイナス40度との差は、なんと80度になります。身体のすべてが変化し地球のフィールドの面白さを感じていたようです。
それにしても80度の差を克服できるのは若いからでしょうか
メキシコを過ぎるとスペインです。ほとんどの集落の人たちは英語がわからず、スペイン語を勉強しながらペタルを踏みこんでいたのでした。
パナマに到着してから、危険地帯を船で迂回し、エクアドルへ入港し、再び自転車にまたがりペルーへ入りナスカの地上絵の脇を通りながらアルゼンチンとチリにまたがるパタゴニアです。
ここからいよいよ南極に向かう準備をし、最終目的地の南極大陸です。
南半球は日本とは季節が逆転しています。南極では12月~2月が夏にあたりますが、もちろん寒いです。
南極の夏は白夜で、1日中太陽が隠れることはありません。
太陽光線が強い紫外線となり、常時降り注いでいて、強い日焼け止めクリームを塗っても、肌は日焼けでボロボロになり、サングラスをかけなければ、あっという間に雪目になって目をやられてしまう。
南極で最初に滞在する場所はパトリオットヒルズで、ここは各国の遠征隊がベースキャンプを張るところで、夏の短いあいだだけテントが張られます。
この南極大陸は世界中で唯一どこの国にも属していない大陸で、夏が過ぎたら各国のベースキャンプはすべて撤収して、もとの白い大地に戻さなければいけないのです。
トイレは木材で作られた掘立小屋の中にあり、小屋の中に半分を雪でに埋もれたドラム缶があり、その中に排泄しそのドラム缶を持ち帰って処理をします。
基本は、訪問者は南極に限らず何も残さず去ることがつとめという事です。
天候と相談しつつパトリオットヒルズを出発し、北極にはない烈風にも負けずに歩をすすめていきます。
極地でのナビゲーションはもっぱらGPSを頼りに進みます。風が強くなると何も見えなくなることが多くGPSの電池の消耗を考えながら、自然の情報といざという時のGPSが頼りです。
自然の情報とは、例えば、南極の風が同じ方向から吹くという性質を利用して、地面に出来るサスツルギと呼ばれる雪紋(せつもん)を道しるべに、コンパスなどで方角を把握し地面をみながら進んでいくことです。
来る日も来る日も南極点を目指して歩き続け、単調ではあるものの、作られた道路はなく、引き止めるものもなく、疲れ果ててへとへとになるまで歩き、テントで寝て、眠りから覚めるとまた地平線に向かって歩いていく。
ただ、歩く
ただ歩くという行為は石川直樹さんは、このように述懐しています。
「行先は地球のどん族、南極点です。ぼくはあのときはっきりと喜びを感じており、心の奥底でこれらの日々が終わらないことを願っていました。人を寄せ付けない白い大地は、しかし人の気持ちを吸い寄せる大きな魅力に溢れています。」
「ただ、ひたすら歩き続けるという行為は、もしかしたら人間にとって大きな幸せなのではないか」
引用:今生きているという冒険(石川直樹著)
と、思うようになった。
1年をかけて各国の人たちとコミュニケーションを取りながらの過酷な長旅、雪や氷を初めて見る者もいたという。
ただ、ただ歩くという行為、毎日毎日自転車をこぎ続けることは教科書では学ぶ事ができない、肌で感じたことはいつまでも考えつづけることができる。と、石川直樹さんはふりかえります。
石川直樹さんの ”北極から南極へ” という、「自分の眼で見て、身体で感じること」の副題から抜粋させていただきしました。
参考いま生きているという冒険(石川直樹著)