日本3大発明のひとつ「地下足袋」
日本3大発明を知っている人は少ないでしょうね。
日本の三大発明は
- 「二股ソケット」
- 「ゴム足袋(地下足袋(じかたび))」
- 「亀の子たわし」
の3つの発明品です。
「亀の子たわし」の詳細はこちらから
その中でも、“履物史上の革命”と言われたほど画期的なものがゴム足袋(地下足袋)です。
地下足袋は、“底の部分にゴムが付いた労働用の足袋”のことで、履物を履かず、直に地面を踏むことが出来る足袋なので『地下足袋』と名付けられたそうです。
ゴムが日本に入ってきたのが、明治時代で、その明治時代中期頃からゴム底に足袋を縫い付けた「ゴム底旅」は販売されていました。
しかし、ゴム底を足袋に縫うことは、とても手間がかかり、縫い付けた糸もすぐに切れてゴム底がはがれてしまうなどの欠点がありました。
ゴム底を足袋に縫い付けるのではなく、糊で張り付けることを考えたのが、足袋の製造業者の石橋徳次郎さんと正二郎さんご兄弟によって発明されました。
兄弟は、大正11年(1922年)にアメリカ製のテニス靴を購入しヒントにして考え、こうすることで大量生産もできることがわかりました。
ゴム専門の技術者と一緒に研究し、試作品を作り三井三池炭鉱の炭鉱夫たちに実験として履いてもらい、その結果、足もとが滑らず仕事の能率が上がると好評を得ました。
ゴム底には滑り止めの溝を入れるなどして、機能性もアップしました。
いよいよ、大正12年(1923年)1月、「アサヒ地下足袋」という名前で販売が開始されました。
この会社は1892年創業の現在の「アサヒシューズ」です。
120年以上の歴史ある靴製造メーカーで「アサヒ靴」の名称で親しまれています。
子供の頃は、皆白い運動靴を履いていて、それが、「波にアサヒ」マークだったように記憶しています。
石橋徳次郎の弟、石橋正二郎はゴムの製造のノウハウを活かしてタイヤの製造をおこない、のちに創業したのが、国産のタイヤで有名な「ブリジストン」です。
地下足袋は、親指とそれ以外の指とに分かれているので、微妙に親指先や足に力が入りやすく、足場の悪い環境の中で作業するのに適しているのです。
用途も広く、作業用だけでなく、農林業の従事する人や大工、左官、鳶職など、建設作業に携わる職人などにも用いられている。
また、登山での沢登りや渓流釣り、ウォーキング、祭の神輿を担ぐ人が履く祭足袋も地下足袋の一種です。
10月8日は「足袋の日」です。
これは『日本足袋工業会』が1988年(昭和63年)に定めたもので、11月の『立冬』を過ぎると、『七五三』や『お正月』、『成人式』など着物を着て、足袋を履く機会が多くなります。
それを前に、10月のなかで“末広がりで縁起の良い日・8日”を『足袋の日』と定めたそうです。
もともと足袋は、鹿などの動物の皮の1枚革で造られていたので、『単皮(たび)』と呼ばれていたそうです。「足袋」の字は当て字のようです。
足袋を辞書で引くと
主として和装のときに、足にはく袋状の履き物。甲と底との部分からなり親指だけが別に分かれ、現在では、かかとの上で止める鞐 (こはぜ) 留めになっている。
引用:Goo辞書
とあり、この中の鞐(こはぜ)は、江戸時代に中国から伝わった“財布に付いていた爪”を応用して、“鞐掛け”の足袋が開発されました。
鞐は足袋によって4枚、5枚といったように、付いている数が違う場合があります。
鞐の数が少ないほど正座が楽で、逆に数が多いほど、立った時の姿が美しいと言われています。
- 普段着の時には鞐が少ない足袋をはきます。
- 礼装用としては、鞐が多く、足袋の高さもも高くなる足袋
が使われるようです。
なお、『直下』ではなく『地下』と書くのは、当て字だそうです。
「白足袋」だけでなく、昨今は「色足袋」なども多く、着物の時だけでなく楽しめそうですね、
参考:Wikipedia、ニッポン放送NEWSONLINE、ニッポン放送NEWSONLINE2