阿吽の呼吸とは禅語の心の伝達だ
阿吽の呼吸とは
神社や寺院の入り口の両脇にある一対の狛犬(こまいぬ)の一方は口をあけた「阿形」でもう一方は口を閉じた「吽形」で「阿吽」を表している。
「そんなことは、イロハのイだよ」といういい方しますね。
阿吽の意味をいえば、阿は万物の根源で、吽は一切が帰省する智徳(知恵と人徳のこと)最初と最後の音です。あいうえおの「あ」と「ん」と一緒です。
スポーツのダブルスのように「彼らの阿吽の呼吸はすばらしい」とか表現されますね。
「阿吽の呼吸」とは「二人以上が何かの物事を一緒にするときに、二人の間に余計な邪魔が入らず、息があった様子のこと」。
ちなみに、あなたも口を開けて声を出して、「あ」と言ってから今度は口を閉じて「ん」と言ってみてください。
すんなりと言えると思います。
理屈ではない言葉
ですから「あうん」は理屈ではなく、損得を考えた呼吸ではないのです。
本来「阿吽」は仏教用語で、古代インドのサンスクリットの言語で、宇宙の始まりから終わりまでを表す言葉とされてます。
「阿吽の呼吸」は「言葉で言わなくても分かりあえること」「息があった様子」のことできわめて自然なことを指します。
主には「付き合いが長く、何も言わなくても分かる」ことに対して使われています。
ですから、理屈や説明がいらない、相手を疑ったり、バカにしていては決して生まれない呼吸です。
以心伝心
似たような言葉に「以心伝心・いしんでんしん」という言葉があります。
禅のことをよく表現した有名な言葉です。
と同時に日常でもよく会話に出てきますね。
言葉の由来は、、禅宗の慧能(えのう)が「言葉では表せない仏教の神髄、教え、考え方を無言のうちに師匠から弟子に伝えること」という意味です。
「心をもって心に伝える」と読み、読んでも聞いても何かそのいわんとするところがわかるような気がする。
英語圏では「テレパシー」や「シンパシー」一般的には「ハート to ハート」のコミュニケーションや「暗黙の了解」の意味となる。
禅宗に「不立文字・教外別伝」(ふりゅうもんじ・きょうげべつでん)という有名な文句がある。
不立文字とは、経典などによりかから(立)ない、とどまら(立)ないという意味で、経典は熟読し塾学し尽すべきだが、それだけに頼り、すがっていては禅の教えは会得できないということ。
教外別伝とは、経典(教)に書かれていないものを特別に伝授するするのが禅であるという意味です。
不立文字も教外別伝も経典を否定しているものではありません。
禅の神髄が経典の内容を越えたところにあり経典は真理への指標に過ぎないというのです。
禅の神髄はだから以心伝心だということです。
相手と「阿吽の呼吸」で支え合うように日頃からお互いに思いやりの気持ちをもっていくことがとても大切なことです。