医師も不思議がる「子宮頸がん」ステージⅣからの生還・その1
2020年の晩秋に知り合いの女性(当時48歳)がおへその横の両腰骨あたりから付け根に向かって痛みを覚え、クリニックにいきました。
先生の診断は膀胱炎ということで薬を大量にいただいてきました。
しかし、どうも薬だけの処方で気になるので知人(元看護婦さん)に教わった別の医院にいきましたらやはり膀胱炎と言われました。
「やっぱり膀胱炎だったんだね。薬飲めば2週間ほどで治るんじゃない」
と軽い会話を交わしていました。
ホッとして、薬を飲み「これで大丈夫だと」睡眠を十分にして疲れることなく仕事をこなし過ごしていました。
1週間も薬を飲むと痛みは少しおさまるといわれたが、一向にその気配もなく先生も不思議に思ったのか「紹介状を書くからと」総合病院を紹介してくれました。
膀胱炎ではなかった
総合病院ではご存知の通り検査、検査のオンパレードで血液検査、病理検査(幹部から直接採取して病態評価をする)、C T、MRI などでした。
検査の結果が出ました。なんと「子宮頸がん・Cervinal cancer」だったのです。
しかも、ステージ4-Bといわれ、さらにショックを受けたのでした。
また、その総合病院でも治療はできないと都立の総合病院を紹介されました。
ステージ4-Bは僕が12年前に「中咽頭がん」を患った時と同じです。
通常は末期がんです。
僕の場合は、リンパ節にも転移していて、その部分が赤黒く腫れていました。
そんな経験があるものですからいろいろと相談を受け、一緒に病院の担当医の話を聞くことになり、MRIとCTの映像で説明をうけました。
担当医から説明
映像を見ながら説明を受けると、半端な大きさではないのです、通常の子宮の大きさの数倍にも膨れ、膀胱を圧迫し膀胱にも支障をきたしているとのことでした。
痛みをともない頻尿になります。
先生に質問しました「どの部分が子宮ですか」と、すると画像を指でなぞりながら「この部分です」と、そのゆびは体の腰の端から端を指さしているのです。
「えっ! 全部なんですか」と質問すると「はい、そうです」と先生は答えました。
先生は40代ぐらいの女医さんで、優しい口調ながらハッキリとこう言いました「Cさんの子宮がここまで腫れて左右の膀胱が映像では見えなくなるほどです。治療を進めていきますが人口膀胱をつけざるを得なくなるかもしれません。」と宣告のように話しました。
一時間ほどの女医さんとの会話と映像を見ながらの説明を聞き、とにかくすごいことになったことはよくわかりました。
画像管理報告書
その時の「画像管理報告書」の所見には冒頭このように書いてありました
「子宮のほぼ全体が腫瘍に置換されています。子宮底部側がなんとか残存する以外はT2WIで分葉状・膨隆性の中等度低信号域で占拠されています。
強い拡散障害が見られ、大きな頸癌が示されます。」以下、略
つまり、かなり大きな頸がんだということです。
Cさんは、自宅から歩いていけるところで、高齢な夫婦が営む定食や酒などを提供しているところで働いていました。毎日、昼前から夜の9時過ぎまで、ほとんど立ずくめの生活で決まった時間に夕食もとれず、しかも定休日はなく、年中無休の生活を送っていました。
その年はCさんにとって最悪の年で、Cさんが体調を崩す前に大変なことが起こりました。
その前にすこし「子宮頸がん」のことを調べてみました。
子宮頸がん
子宮頸がんは、主に子宮頸部(入り口付近)にヒトパピローマウイルス(HPV)が感染することによって発生する悪性腫瘍で、女性生殖器の中では子宮体がんに次いで2番目に頻度の高い疾患です。
引用:日本婦人科腫瘍学会
子宮頸がんは年間1万人が罹患し(73人に1人)、約2,900人が死亡しています。罹患数・死亡数共に近年増加しており、最近では20歳〜40歳代前半で特に増加しています。
過去10年間で他の主要な5大がんの年齢調整死亡率が低下から横ばいに転じているのに対して、子宮頸がんだけは今後も上昇していく顕著な傾向が示されています。山口赤十字病院
子宮頸がんは、「マザーキラー」とも呼ばれる、若い世代にも要注意のがんなのです。
それからは、がんとの壮絶な戦いが始まりました。
このブログは本人の了解を得て、「子宮頸がん」を少しでもわかってもらうためと完全に消えた「がん」のことを掲載しています。