番付表や食にこだわる歴史ある「大相撲」
毎場所、相撲中継を楽しみにしている人は多いとおもいます。
同郷の出身力士がいればなお、力が入りますね。
江戸時代から時が止まって、土俵入り、番付表、化粧まわし、髷(まげ)、着物、取り組みなど変わらない姿で歴史と伝統の相撲を現代でも生で感じられます。
歴史
相撲の起源は、「古事記」にも書かれてある力くらべの神話が挙げられます。
相撲は、その年の豊作物の収穫を占う儀式として毎年行われ、この儀式が後に宮廷の行事となり300年も続いた。
鎌倉時代から戦国時代にかけて、武士の戦闘の訓練として盛んに相撲が行われました。
特に、織田信長は相撲を好み、相撲の大会で勝ちぬいてきた者を家臣として召し抱えたそうです。
江戸時代に入り世の中の平和が続き、相撲は定期的に行われるようになり、歌舞伎と並んで一般庶民の娯楽として親しまれるようになっていった。
神事に由来する相撲は、華やかな様式美と格式のある礼法を重んじて、正々堂々、技と力と体全体から溢れる闘志を競い合いながら今に伝えられてきました。
土俵上での力士たちの一挙手一投足のすべてに「神に捧げる」意味が込められています。
そのため、取り組み前の力士たちが土俵の邪気を清めるために塩をまきます。
国技館では、一日に約45キロ使い、15日間の塩の量は約650キロ以上の塩が用意されています。
土俵入り
相撲の十両以上の力士(関取)が、お客様の前で神様へ奉納し、お客様への披露をする儀式です。
横綱が行うものは、「横綱土俵入り」として区別される。また、江戸勧進相撲の初めの頃は相撲場を片屋ということから、片屋入り(かたやいり)とも呼ばれる。
弓取り式
その日の最後の一番が終わると、弓取り式が始まります。
これは結びの一番に代わり作法を心得た者が行う勝者の舞です。
本場所で毎日行われるようになったのは70年間からとか。
大相撲の番付
この力士の順位表により、給与や服装などが様々に変化します。
十両以上は、関取と呼ばれ、一人前の力士とみなされます。
関取には、幕下以下の付人がつき、取り組み時には髷を大銀杏に結うことが許され、まわしも正絹になります。
そして、十両から前頭からの幕内、さらには三役、横綱へと挑戦が続くわけです。
現在の番付表は、行司が毛筆で書き、それを写真製版して印刷している。
「番狂わせ」などの言葉はここから生まれている。
食にこだわる
相撲は手をついたら負けになることで、鳥は二本足立つので縁起物とされている。
蔵前国技館時代の60年前から、場内で売られていて、今でも当時の味を落とさないように6回もタレを染み込ませ、手間ひまかけて作られています。なんとその数は一日平均45,000本です。
ちゃんこ
相撲界で「ちゃんこ」は、力士が作ったすべての料理のことです。
ちゃんこの語源は、「ちゃん」が父(師匠)、「こ」が子(弟子)で一緒にいただくことから名付けられたとも言われています。
肉も野菜も豊富にとれて、栄養がたっぷり、追加もすぐにできるので力士にとっては鍋は、力士の体を作る理想的な食べ物です。
いかがでしたか、少しは相撲のことが理解できたのではないでしょうか。
お時間がありましたら、相撲観戦をして歴史を振り返るのも楽しいと思いますよ。
朝の8時30分から開場して、取り組みも始まります。
上位陣になればなるほど、土俵の迫力が変わってくるのが分かります。
参考:Wikipedia、相撲観戦GUIDE BOOK