暖簾は神聖な場所との境に使い鳥居と同じ意味だった
暖簾は紺地に白字で屋号や商号、家紋などが染め抜かれて(印染め)いるものが多い。
現代は、店の営業で閉店になるとまず暖簾をしまい、開店時に暖簾を出すので「営業中」の合図にもなっている。
しかし、江戸時代に礼節を重んじて江戸町民の生活を律し、秩序をあたえていたことが、商人の神聖な行為に昇華していき、この暖簾はまさにその象徴だった。
暖簾が表すもの
暖簾はお店の老舗を指して「暖簾が古い」といい、新しい店に対しては「暖簾が新しい」というようになり、商店そのものを指し、店の信用も暖簾が表すものだった。
もともと暖簾は、屋内に直接風や日差しが入るのを防いだり、単なる目隠しをしたりして飾り物ではなかった。
神社の鳥居と同じような意味で「結界・けっかい」(神社仏閣における聖なる場所と、俗なる場所とを分ける境目のこと)を示すもので、その内側が商いをする神聖な場所となっていた。
もともと結界は宗教用語で修業のために一定の区域を区切ることです。
暖簾の色は濃紺か、藍紺(あいこん)だった。
暖簾の真ん中に店の印を染め抜いて、左下に屋号が入っていた。
暖簾の習わし
表に出している暖簾は新年を迎えるたびに新調され、元日に神棚に備えて大願成就を祈り、火打石をカチカチならし「切り火」をして店頭に掛けた。
このときの「切り火」とは、火をつける道具だけでなく、古くから厄除けや邪気払い、縁起担ぎの道具として使われてきました。
また、火は神聖なもの清浄なものとされ、邪気など悪いものは火を嫌うと考えられてきました。
江戸時代の暖簾は今よりずっと神聖なものであったのです。
火事などが起きたときには、真っ先に暖簾を持ち出したとされています。
今日、テレビなどのドラマで黄色や桃色の暖簾がかかっているシーンを見受けますが、いかがなものか江戸時代の商人の心意気と言いますか、暖簾の大事さをわかってほしいと思います。
ですから商人は「暖簾を汚さない」とか「暖簾のてまえ、やくざな品は売れない」というような言葉で「実意・まこと」を表し、心をこめて商った。
戦前・戦後は屋台や飯屋などの店でお客が出ていくときに肴をつまんだ汚れた手をちょいと暖簾をつまんで吹いていく習慣があり「暖簾が汚れているほど繁盛している店」という目安にもなっていたとか。
一般的に暖簾は、複数の布(縁起を担いで奇数枚が多い)の上部を縫い合わせ、下部はそのまま垂れとし、上端に乳(ち)という輪状の布をつけて竹竿を通し出入口などに掛けていた。
この竹竿を通す乳は、等間隔に乳を持つ犬のようであることから呼ばれ、東日本に多く見られ西日本では一本の筒のようになっている物が多い。
暖簾の種類
- 長暖簾:鯨尺三尺(約113cm)を基準としてそれより長い暖簾
直射日光にあたって品物が傷んでしまうのを避けたり、店内の客が品選びに落着けるように配慮する目的で使われてきた。 - 半暖簾:鯨尺三尺(約113cm)を基準としてそれより短い暖簾
店内の作業や商品を客に見せたい場合に用いられ、うどん屋、蕎麦屋、寿司屋などにみられる。 - 水引暖簾:丈は最も短いが幅が長く間口全体に及ぶものを水引暖簾という
水引暖簾は軒先に掲げた筵張り(むしろばり)、板張りの木枠が布に代ったものとされている
特殊暖簾
- 日除け暖簾(太鼓暖簾)
切れ込みのない一枚布を軒先から道路にせり出すように張った暖簾。
風に煽られると音がすることから太鼓暖簾ともいう。 - 縄暖簾(紐暖簾)
布のかわりにカラムシを縒った縄を横一列に並べて垂らしたもの。
歴史は布の暖簾よりも古いといわれている。
天保年間に煮売りの居酒屋で虫よけになると掛けられるようになり縄暖簾は居酒屋の代名詞になった。 - 珠暖簾(玉暖簾)
珠暖簾は古くは珠だれと呼ばれ、ビーズやガラス製・木製の珠を繋げて紐に通し、垂らしたもの[。管暖簾管暖簾は篠竹、木管、ガラス管、管状の具殻を繋げて垂らしたもの。
引用:Wikipedia
また、言葉としても「暖簾に傷をつけないように」「暖簾をたたむ」「暖簾を下ろす」「暖簾分け」などたくさんありますね。
「暖簾に腕押し」などはよく使いますね。
子供の頃には、暖簾は部屋の区切りや外から見られやすいところにありました。
今は掲げているところが少ないので、飾りとして掲げたらいかがでしょうか。
参考:Wikipedia、オーダーのれん、徳の国富論(加瀬英明著)