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江戸時代特有の美意識の粋「いきでいなせ」

いき

江戸期の町人文化が生んだ町人語で、時代に従って変転した美意識(美的観念)で、遊興の場での心意気、身なりや振る舞いが洗練されていること、女性に色っぽさなどをあらわし、日常生活の行動基準となっていた。

他にも、すい、通(つう)、男伊達(おとこだて)などがある。

いきは、現代では ”” という字を当てているが、もともとは ”意気” と書かれていた。

江戸時代には、侠、風流、秀美、好風、花美など、多くの字を当てている。
」の字は、「すい」と読んでいた。

日本人は美意識においては、他国よりもずば抜けて発達をしていることがよくわかる。
理性的な善悪よりも感性に訴える美を尺度として生きてきたのです。
理屈ではないのです、清潔さを重んじ汚れを嫌い、美意識が働いて善悪は感性から出ている

江戸時代に日本に訪れた欧米人は口を揃えて江戸の治安のよさや清潔な暮らしぶり、貧しい庶民にいたるまでの礼儀正しさや美意識の高さに驚愕していた。

明治10年に来日し、東京帝国大学で教鞭をとったアメリカの動物学者エドワード・モースは著書「その日その日の日本」の中でこんなことを記しています。

「驚くことには、また残念ながら自分の国(アメリカ)では人道の名に於て、道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人は生まれながらに持っているようである。
衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、あっさりして魅力に富む芸術、挙動の礼儀正しさ、他人の感情に就いての思いやり(略)これ等は恵まれた階級の人々ばかりではなく、最も貧しい人々も持っている特質である」

引用:徳の国富論(加瀬英明著)

モース氏は、大森貝塚を発見し調査したことで有名です。

明治時代の銀座通り

明治質気(めいじかたぎ)といわれた、誰もが実直で、礼節を守り、義理堅く律儀だった日常生活は暗黙の合意によって築かれていた。

美意識

美意識が人々の生活哲学と行動様式を律し、江戸時代を通して治安がきわめて良かったのは、いかに人々の美意識が高かったのかがうかがえる。
このような社会は日本の他にはどこにもなかったようです。
日本は恥の文化ともいわれますが、恥も美意識から発している

いき

「いき」という言葉は、本来は ”意気” を尊ぶことから生まれ、純粋さや美しい心気風(きっぷ)が外に表れてくるときの形の美しさ指していて、「意気地」「意気込み」「生意気」などを表している。
いきも、(すい)、粋人も、人情の裏表に通じていて美意識にもとづいて行動することが何よりも大切な条件でした。

通、通人も、遊びのしきたりや知識を知りぬいていて、人情や世の中の機微にも通じた人が粋(いき)な人だった。

男気

男気、男伊達もいきであり、侠気(きょうき)、義理堅く意地を張り、男としての面目を立て通す男性を意味し、同時に情が細やかでなければならなかった。

いずれも、「かっこうをつける」とも言ったが、表面的ではなく心の美しさがとても大事だった。
いなせ、きおい、いきみ、などという言葉も心と一体となっていて、”きおい” は侠い、勢い、気負いなどと書かれ、”いきみ” は意気身という字をあてた。

とにかく江戸の町人たちは、”粋な人” といわれることが、最高の誉めことばだったのです。

  • 町火消しは「江戸の花」と呼ばれ、粋で命を惜しまないので垢抜けているといわれた。
  • 鳶の人は寒中でも、法被(はっぴ)1枚、白足袋はだしの男伊達とはやされた。
    生粋の江戸っ児はその心をほこりにしていた。

女性の美

女性のなまめかしさ、つやっぽさ、色気も表面的な美しさとともに、内面から発するものだった。
日本の着物は、世界の国の、綺麗な装飾的服とは違い、見た目の美しさだけではない、内面が美しくないと美しく見えないのです。

西洋諸国では男らしいといえば、筋骨隆々の見た目の美を指すが、日本では外見ではなく内面のことをいいます。

生命すら梅雨の間としてとらえていた死生観、江戸の人々はつかの間の美を重んじていた

最近は、粋な人にはなかなか巡り合いませんね、せめて真似でも見習いたいものです。

参考:徳の富国論(加瀬英明著)

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