しっかり目を開けて夢を見よう

憤怒の形相だが大きな慈悲を持つ「不動明王」

不動明王は全国津々浦々、大寺院の大伽藍のなかにも、村境の小さな祠のなかにも、姿を見ることができる。

しかし、不動明王は両目をカッと見開き、上歯牙で下唇を噛み、左手に羂索(けんさく:諸獣を捕らえるための狩猟の道具や武器のこと。衆生を覚りの世界へと引き込む役割のものに譬えたと解釈)をにぎり右手には宝剣を持って憤怒の形相で睨み、さらに、背にはメラメラと燃えさかる火焔を背負っているではないか。

そんな、手を合わす人を睨みつける不動明王ではあるが「お不動さま」と呼ばれ、広く信仰を持たれるのでしょうか。

不動明王像の両脇には、脇侍として不動明王の右に矜羯羅童子(こんがらどうじ)と左に制吒迦童子(せいたかどうじ)が配され三尊としてお祀りされていることが多い。

五大不動明王

不動明王は5大明王の一尊です。その五大明王とは

  • 不動明王(ふどうみょうおう)
    梵名アチャラ・ナータ(=「動かない守護者」)。
    一面二臂(顔が一つ、腕が二本)で煩悩を焼き払う火焔を背負い、右手に魔障を征する降魔の剣、左手に人々を救うための羂索を持つ。
  • 降三世明王(ごうざんぜみょうおう)
    梵名トライローキャヴィジャヤ(=「三世界の王者を降ろす者」)。
    四面八臂で胸前で降三世印を結ぶ。大自在天(シヴァ神(しん))と大自在天妃(ひ)(ウマ女神)を踏みつけます。
  • 軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)
    梵名クンダリー(=「とぐろを巻く者」あるいは「軍荼(水瓶)を持つ者」)。
    一面三眼八臂で、胸前で大瞋(だいしん)印を結んでいる。体に絡みついている蛇は、人間の煩悩を表している。
  • 大威徳明王(だいいとくみょうおう)
    梵名ヤマーンタカ(=「怨霊を破滅する尊」)。
    六面六臂六足ですべての面に目が3つある。水牛に乗ります。単独では戦勝祈願や農耕神として信仰されます。
  • 金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)
    梵名ヴァジュラヤクシャ(=「金剛杵を持つ神霊」)。
    三面六臂で正面の顔は五眼。手に金剛杵(こんごうしょ)と五鈷杵(ごこしょ)、索と剣、矢と弓を持つ。

不動明王の発祥の地は、京都の東寺の講堂の不動明王であると言われています。
ここの不動明王をモデルとして多くの不動明王像がつくられました。

なぜ空海は、このような憤怒の形相をした如来や菩薩とは異なる不動明王を作ったのか。

不動明王と菩薩との共通点がある。それは服装にあらわれています。

菩薩も不動明王も、上半身に “条帛” (じょうはく)という細長い布を左肩から斜めにかけて下半身には ”” (も)という腰布を巻くつけている。
装身具も腕に腕飾りの臂釧(ひせん)、手首の葉ブレスレットの腕釧(わんせん)をつけている。

このように菩薩との共通点から不動明王は菩薩に近い役割を担った仏と考えられる。

不動明王が必死の形相でなにかを救おうとしている姿をあらわしているのは、次のようにあらわされている。

憤怒の形相は

極寒の海に漁に出る息子を見送る母親がいる。荒れ狂う冬の海に母を思いながら海へ挑んでいく。
しかし、荒れ狂う海はいとももたやすく船をのみこんでしまう。うねり狂う海に母はみずから船を出す。だが、海原は母を寄せ付けようとはしない。

闇に向かって母は、何時間も息子の名前を呼びつづける。息子に縄につかまれと狂ったように叫び、縄を何度も海に投げる。髪を振り乱して凍てつく海から縄を引きあげる口元は血がにじむほど歯を食いしばり下唇をかみしめている。

この必死の形相こそ不動明王の姿に他ならない。不動明の宝剣は諸刃の剣であり、荒れ狂う海と戦おうとする意思をあらわしている。
刃は外に向き、内に向く。命をかけた決意の表明です。
命がけで救おうとしている仏こそが不動明なのです。

息子を助けるために母は縄を海に何度も投げ込み、浮き輪を流し、さらに、海よ鎮まれと棒で海をたたきはじめる。

手を合わせ海の神に祈る。あらゆる手段で海を鎮め、息子を助けようとする姿が多くの手で表現され、さらに、六つの顔、四つの顔は一刻も休むことなく荒く狂った黒い海のなかに息子の姿を見つけようと左右前後、遠近とせわしなく動かし続けている。
五大明王は、まさにその母の姿をあらわしている。

引用:東寺の謎(三浦俊良著)

不動明王が左手に持つ羂索もまたしかりで、荒れ狂う海をその縄で縛りあげ、同時に海から息子を引き上げるための縄なのです。

身代わり不動

不動明王を祀っている寺院に「身代わり不動」とかかれているのも、わが身を捨てて救ってくれるという、不動明王の強い意志を頼りにしたものです。

空海が念持仏(ねんじぶつ:朝夕に帰依礼拝する仏像)としたのも不動明王っだった。
不動明王は、大日如来そのものなのです。密教では仏、菩薩、明王はすべて大日如来の化身であると説いています。

宇宙の真理=大日如来が密教の主尊です。必要あらば菩薩の姿になり、溺れる人あらば不動明王となり、みずから飛び込んでいく。

東寺の講堂の大日如来が中心にあり、東方に金剛波羅密多菩薩、西方に不動明王が位置するのは変幻自在に身をかえて求めに応じた姿で現われるという。

お不動様のご誓願は、人間の悩みの原因である無明(むみょう:まよい)をたちきって、ほんとうの幸せをお授けになることにあり、私たちの真心が通ずるならば、どのような願いでも必ず一願は成就すると言われています。

参考:東寺の謎(三浦俊良著)、Discoverjapan高野山霊宝館

関連記事

コンテンツ