心の歌「東京だよおっ母さん」
東京だョおっ母さん
「東京だよおっ母さん」を久しぶりに聞きました。
1957(昭和32年)年、島倉千代子が歌って大ヒットをした。
作曲:船村徹
作詞:野村俊夫
田舎から上京してきた母親の手を引き「♫ 久しぶりに手を引いて ♪♬」東京見物に案内する。
皇居の二重橋を見て記念写真を撮り、九段坂を登り靖国神社で戦死した兄さんを偲び、東京一のスポットの浅草へ足を延ばして観音様をお参りする。
この歌は戦争で命を失った死者の魂を鎮める東京巡礼の歌とも言われた。
戦前の家庭には、神棚と仏壇があり、天皇、皇后両陛下の真影が掲げられていた。
二番の歌詞の「♫ 桜の下 」は靖国神社のことを指している。
まさに神仏習合の日本人の心と天皇制を唄っているように聞こえます。
東京都内定期観光のはとバスでは、初代コロンビア・ローズの「東京のバスガール」とともに、ガイドが乗客に披露する歌にもなっている。
しかし不思議に思えるのは、映画にもなり150万枚もの大ヒットしたこの曲をNHK紅白歌合戦では1度も取り上げてはくれなかった。
『東京だョおっ母さん』
久しぶりに 手を引いて
親子で歩ける 嬉しさに
小さい頃が 浮かんで来ますよ
おっ母さん
ここが ここが 二重橋
記念の写真を とりましょうねやさしかった 兄さんが
田舎の話を 聞きたいと
桜の下で さぞかし待つだろ
おっ母さん
あれが あれが 九段坂
逢ったらなくでしょ
兄さんもさあさ着いた 着きました
達者で長生き するように
お参りしましょう
観音様です おっ母さん
ここが ここが 浅草よ
お祭りみたいに 賑やかね
皇居前広場の左手奥の、皇居正門前の濠(ほり)にアーチ形の石橋がかかっている。
その奥に見える美しい鉄橋が二重橋です
戦時中の小学校の教科書では「目の前におがむ二重橋」などと紹介されている。
白馬にまたがって二重橋に現れた昭和天皇を、群集が万歳奉唱で迎えたりした。
戦後開催された天皇誕生日の一般参賀が行われ、二重橋の通行が許され、庶民に身近なものとなった。
何かと問題定義される靖国神社は俗歌の「ラッパ節」で、兵士が散って靖国神社の桜に生まれ変わることが歌われている
多くの軍人たちが「靖国の桜の下で逢おう」といって、仲間に別れを告げ戦場へと赴いた。
全国から多くの遺族が、バスや参拝列車を仕立てて団体で訪れた。
ここを訪れる遺族は「参拝」というより、死者の「みたま」に会いに来たといわれる。
浅草寺は、1400年近い歴史をもつ観音霊場である。
古く飛鳥時代の628年、推古天皇36年3月18日の早朝、隅田川のほとりに住む檜前浜成・竹成兄弟が漁をしている最中、投網の中に一躰の観音様の像を発見した。
尊像を持ち帰った兄弟はやがて私宅を寺に改め、観音さまの礼拝供養に生涯を捧げた。
東京大空襲で焼失した本堂や歓楽街は急ピッチで復興した。
江戸時代から続く見世物小屋などが集められ戦前から大衆芸能の一大中心地となった。
若い人たちは、この歌さえも知らない人が多いのかもしれません。
僕の母親は「昔の浅草は歩けないほど人が多かった」とロック街のことを話していました。
久しぶりに聞く「東京だョおっ母さん」は何とも言えない日本の心の歌です。
参考:Wikipedia、読売新聞